「“会ったその日に行為”が18%」「別のグループの人と付き合うのは無駄」衝撃のレポート コロナ、スマホで学校はどう変わった?
違うグループと付き合うのは「無駄」
当の生徒は何を思っているのか。筆者は、この教師が勤める高校で、生徒に集まってもらって話を聞いた。男子生徒との間に次のようなやり取りがあった。
――クラスの違うグループの人と付き合わないのは本当?
「はい。いちいち疲れるんで」
――疲れるってどういうこと?
「無駄って感じです。だって、自分とはまったく違う人間にわざわざかかわるメリットってないですよね。逆に聞きたいんですけど、あえて面倒な思いまでしてタイプの違う人と接する具体的なメリットってあります?」
――クラスにいろんな人たちがいることについてはどう思う?
「学校なんで違うタイプの人がいるのは仕方ないって割り切っています。嫌だけど、そんなもんだって感じです」
自分は自分、相手は相手という冷淡な多様性が生まれつつあるのかもしれない。
いじめの形も変化
学校の子供たちのグループの単位が小さくなったことは、人間関係から起こるトラブルの形も変えているそうだ。その代表格であるいじめも変化している。
神奈川県の中学に勤める男性教師は話す。
「昔のいじめは、クラスの8割の子が一人の子を無視したり、5人くらいの不良グループがいじめをして他の子たちは見て見ぬふりをするというものでした。今は、そんな大きなグループはありませんし、グループ同士が団結することもありません。ですので、いじめは2、3人のグループのうち一人がLINEのグループから追い出されるなどという形で起こるのです」
クラスという単位が希薄になったことで、クラス全体で行われるいじめもなくなった。代わりに生まれたのが、少数のグループ内での個々の衝突だ。先の男性中学教師は続ける。
「難しいのは、これを“いじめ”と定義するかどうかです。被害者は無視されたと感じているので、その意味ではいじめとなります。しかし、加害者の方は単に仲間割れをしただけという気持ちです。あくまでも『話が合わなくなったからLINEで付き合わなくなっただけ』という認識で、いじめなんかしてないと主張する。そうなると、われわれもいじめではなく、仲間割れをするなという指導しかない。ただ加害生徒からすれば『そんなのは余計なお世話』となるので、なかなかお互いに納得のいく解決にはなりません」
グループの単位が小さくなったからといって、それだけ結束力が高まるというわけではないのだろう。むしろ、数が少なく緊密な分、一人ひとりの言動が相手への影響力を増すので、衝突も多くなるのかもしれない。
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