「故意死球」も当たり前!? 松井秀喜も激怒した“日本球界最悪クラス”の問題児助っ人がやらかしたこと

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「トゥ・ヒム(彼を狙った)」

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。左の先発が勝ち星ゼロに終わった巨人が、2年間で10勝を挙げた実績を買って、ダイエーからFA移籍の工藤公康とともに“左の先発の柱”として獲得したのだ。

「優勝を十分狙えるジャイアンツでプレーできることを光栄に思う。優勝に貢献できるよう努力する」と優等生の抱負を口にしたメイだったが、紳士の球団に入っても、問題児ぶりは相変わらずだった。

 2000年6月7日の古巣・阪神戦の7回、メイは先頭打者の和田豊を2ストライクと追い込んだが、3球目を投げようとしたときに、和田がタイムを要求して打席を外したことが、事件の発端となる。

 いったん打席に戻った和田は直後再び打席を外し、足場を固めてバットを構えると、またもやタイムを要求して、打席を外した。「2回までなら我慢できるが、向こうがオレをじらすために故意にやった汚い行為だ」と逆上したメイは、そのまま和田の頭部目がけてボールを投げつけた。

 和田は咄嗟に避けたので大事に至らなかったが、「こっちだって1打席に命を懸けているんだ。完全にぶつけに来たよ」とカンカン。にもかかわらず、審判団は「故意なら退場だが、モーションに入っていたので、そのまま行けって感じだったと判断した」と善意に解釈し、不問に付した。

 ところが、試合後にメイが「本塁ベースに向かって投げたのかって?ノー、トゥ・ヒム(彼を狙った)」と故意を認めたから、さあ大変。一転出場停止10日間の処分が科せられた。

 そんな騒ぎにもかかわらず、同年のメイは工藤とともにチーム最多の12勝を挙げ、4年ぶりVに貢献。素行は悪くても、実力は並ではなかった。

 メジャー復帰後も、ロイヤルズ時代の2003年に10勝をマークし、同年8月12日のヤンキース戦では、松井と4年ぶりの対戦が実現したが、負け投手になると記者会見を拒否。「そのへんも変わってないね。いつも通訳が可哀相だったよ」と松井を苦笑させている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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