草刈正雄の父親は生きていた…「ファミリーヒストリー」が光を当てた戦後裏面史 「GIベビー」と「エリザベス・サンダース・ホーム」
「エリザベス・サンダース・ホーム」
「GIベビーを身近に感じたのは、小学生時代に観ていたドラマ『サインはV』でした」
そう語るのは、小劇団の舞台女優A子さん(65歳)である。岡田可愛(74)が主演の『サインはV』は、TBS系で1969~70年に放映された社会人女子バレーボール界を舞台にしたスポ根ドラマだ。日本中が熱狂し、最高視聴率39・3%を記録した。
「このドラマに范文雀さん(1948~2002)が演じたジュン・サンダースという少女が登場します。戦後、占領軍の黒人兵と日本人女性との間に生まれた少女という設定でした。父親は帰国してしまい、残された母親は生活苦のあまり娘を養護施設に預け消えてしまう。残されたジュンは負けず嫌いで気が強く、周囲に溶け込もうとしない性格でした」
そんな孤独な日々を送っていたGIベビーが、逆境に耐えながらバレーボールに打ち込むことで再生していく。しかし、当時は不治の病と言われた骨肉腫に侵され……。その姿は日本中の少女の涙を誘い、番組には「ジュンを死なせないで」という嘆願書が殺到した。
「毎週ハラハラしながら見ていましたが、忘れられないのは、ジュン・サンダースがいた養護施設が“神奈川県サンダースホーム”との設定だったことです。原作漫画でもはっきり描かれていました。それが実在の施設であることを担任の先生が教えてくれたんです。神奈川県・大磯にある“エリザベス・サンダース・ホーム”だと。私たちの世代は、このドラマでその存在を知ったのです」(A子さん)
JR東海道本線・大磯駅前にあるエリザベス・サンダース・ホームは、1948年、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎(1835~1885)の孫・沢田美喜(1901~1980)により、身寄りのないGIベビーのための養護施設として設立された。その契機となったショッキングな出来事を、週刊新潮はこう記している。
《昭和二十一年十二月のその日、東海道線の下り列車が岐阜県・関ヶ原にさしかかったとき、網棚の細長い風呂敷包みが、沢田美喜さんの膝に落ちてきた。(中略)風呂敷包みのなかには、新聞紙にくるんだ黒い赤ん坊の死体がはいっていたのである。(中略)クリスチャンの沢田さんはそれから三日間、黙想し、さらに七日間、神に祈り続けたという。(中略)占領軍が各地にあふれるようになってから約一年、神奈川県鵠沼や横浜のドブ川に浮んだ、黒い皮膚、金髪の赤ん坊の姿が瞼によみがえった》(週刊新潮:1980年5月29日号 墓碑銘「沢田美喜さん 混血孤児との三十四年」より)
いまの若い人には想像もつかないだろうが、1945年に敗戦国となった日本は、約7年間にわたって米軍を中心とする連合軍に占領されていた。街には血気さかんなGIがあふれ、多くの日本人女性と関係をもった。それらは通常の恋愛ばかりではなかった。売春や性暴力も多かった。次々と生まれるGIベビーたち。だが、ほとんどのGIは任期を終えるとそのまま帰国してしまう。残された母子は、戦後の貧しい日々を生き抜くだけで精いっぱいだった。しかも占領軍は、GIベビーの存在を認めようとしなかった。
《占領軍の恥部として、その存在を嫌う司令部は「目立たぬように全国に散らして、一ヶ所に集めるな」と命じたり、ひそかに食糧品、医薬品を差し入れる将兵を左遷した》(同前)
かくして沢田の戦いが始まる。財産税として政府に物納されていた岩崎家の大磯の別荘を買い戻し、自らの財産も処分して資金を確保した。施設名は最初に寄付をしてくれた在日イギリス人女性の名前にちなんだ。
そんな沢田の苦難の日々を克明に綴った名著が、ノンフィクション作家・青木冨貴子による『GHQと戦った女 沢田美喜』(2015年、新潮社/現・新潮文庫)だ。
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