ウサイン・ボルトがゴール前で“流した”本当の理由とは? 当時は「敬意に欠く」と批判も(小林信也)

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敗者に失礼?

 大きな転機は、04年のアテネ五輪だった。17歳で出場したボルトは200メートルの1次予選で敗れてしまった。成長過程で起こりがちなケガの影響もあった。失意のボルトは憧れのマイケル・ジョンソンの背中を追って400メートルへの挑戦を決意した。ところが400メートルの練習をしている過程で思いがけない副産物が生まれた。それまで大会で走ったこともない100メートルの記録が、測ってみると驚くほど速かったのだ。

 そして08年北京五輪の男子100メートルでボルトは伝説になる。50メートル付近で抜け出したボルトは、後半ぐんぐんリードし、80メートル付近では両手を翼のように脇に広げ、ほとんど流した状態でゴールに飛び込んだ。ゴール直前には、右手で自分の胸を誇らしげに1度たたいた。その姿が世界のファンを驚愕(きょうがく)させた。しかもタイムは世界新記録の9秒69。最後まで真剣に走ったら、一体どんなタイムが出たのか? 誰もがボルトの超人的な速さに圧倒された。

 しかし、この走りを「敗者への敬意に欠けていた」と非難する人物がいた。共同通信がこう伝えている。

〈ロゲ会長は、100メートル決勝でボルトが両手を広げ、胸をたたきながらゴールした行動を問題視。AP通信によると、「王者の振る舞いではない。喜びは分かるが『捕まえられるなら捕まえてみろ』と見て取れる。レース後はすぐに敗者と握手を交わしたりすべきだった」と述べた。〉

 IOCのジャック・ロゲ会長は、最後まで全力を尽くさなかったボルトに怒りを覚えたのか? この発言に戸惑いながらも、ボルトは真摯に受け止めた。後に出版した自伝には、自分に非があったか、失礼な態度だったかを仲間に尋ねたと書いている。父親に厳しく育てられた自分には、そんな傲慢な思いはみじんもなかった、と。

桐生祥秀に伝授

 ボルトは、北京五輪の決勝に限らず、レース終盤を流す走りをしばしば見せている。それは手を抜いたのでなく、「そう教えられた」と発言している。今は亡きロゲ会長に、「100メートルの終盤をどう走るべきか」王者ボルトが到達した真実を伝えたいと思う。ボルトの真意を私は意外な場所で発見した。13年10月、TBSテレビの番組でボルトは、高校3年で10秒01を記録した桐生祥秀と対談した。レースのビデオを見せた上で桐生は助言を求めた。するとボルトは言った。

「トップスピードに乗ればそれ以上は速く走れない。君はフィニッシュ直前でまだ加速しようとしている。重要なのは歩幅を保ち、走りを安定させること。フィニッシュ直前はもっとリラックスするべきだよ」

 これを受けて、「トップスピードを上げる練習をした方がいいですか」と尋ねる桐生を即座に制した。

「それは違う。多くのスプリンターはトップスピードに乗るとそこから更に加速しようとしてフォームを崩してしまう。それ以上速く走ろうとするのではなく、走りを安定させることに集中するべきだ」

 ボルトのまなざしは真剣だった。それはロゲ会長への返答でもあったように感じた。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2023年8月31日号掲載

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