【西城秀樹の生き方】「僕がやっていることは、西城秀樹というジャンルなんだ」「ザ・ベストテン」で「Y.M.C.A」がつくった記録とは

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ありのままの姿で堂々と

 だが、運命とは残酷なものである。48歳と56歳のとき、脳梗塞を発症する。2度もなるとは本人も思っていなかっただろう。声も思うように出ない。曲の合間のトークもたどたどしい。売り物だった派手なステージアクションもできなくなった。

「死にたいという気持ちになりましたね。また(病気と)闘わなければいけないのか、と」。テレビのインタビューでそう話していた。「歌手廃業」という言葉が何度も脳裏に浮かんだに違いない。

 だが西城は、自著「ありのままに」の中でこう書いている。

《前へ進む姿を見せていれば、多少歌の完成度が下がっても、切れのある動きができなくても、見る方たちは感動してくださる。引っ込み思案になることはない。ありのままの姿で堂々と人前に出ていけばいいのだ》

 確かに、椅子に座って歌うこともあった。だが、ひとたび伴奏が始まれば一変。コンサートでは往年の名曲から還暦を迎えた2015年に発表した新曲「蜃気楼」までを熱唱した。リハビリ中とは思えぬエネルギッシュな歌声。観客を熱狂の渦に巻き込む力があった。

「(デビュー50周年の)2022年に向けて頑張る」と西城は周囲に意気込みを語っていた。闘病を充電期間に位置づけ、ジムに通うなど精力的にリハビリに励んでいたという。

 命の炎を燃やし続けることができなかったのは無念でたまらなかっただろう。だが、多くのファンの心には、「永遠のヤングマン」は生き生きした姿で残っている。

 ヒデキ、ありがとう!

 次回はタレントの志村けん(1950~2020)。日本を代表するコメディアンで喜劇王である。新型コロナウイルスに感染し、入院。治療を受けたが、2020年3月29日、肺炎のため70歳で逝った。発症から2週間ほどで迎えた、あまりにも理不尽な死。その深層を追う。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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