【西城秀樹の生き方】「僕がやっていることは、西城秀樹というジャンルなんだ」「ザ・ベストテン」で「Y.M.C.A」がつくった記録とは
「ザ・ベストテン」での9999点!
ヒデキの軌跡をたどってみよう。
1955年、広島市生まれ。小学生のときにバンドを始め、高校時代、ジャズ喫茶でスカウトされて上京した。「ワイルドな17歳」というキャッチコピーで1972年に「恋する季節」で歌手デビューした。「激しい恋」「傷だらけのローラ」など立て続けにヒット曲を飛ばすが、西城を国民的人気者に押し上げたのは79年2月に発売されミリオンセラーを記録した「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(日本歌謡大賞受賞)だ。
当時高校3年生だった私は、両腕を使って「Y・M・C・A」を表現する振り付けが大流行したのをよく覚えている。体が不自由な人たちのリハビリにも使われ、社会現象としてニュースにもなった。
強烈な記憶として残っているのが、生放送の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系)である。「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が最高点の9999点を記録したのは79年4月5日。翌週の12日も9999点を記録した。
「ザ・ベストテン」の主役はランキング。世間にどのくらい浸透しているのかを点数に換算するため、レコードの売上枚数だけでなく、ハガキによる投票リクエスト、各地のラジオ放送局や有線放送でのランキングを合算。9999点は番組史上最高得点だった。
元テレビプロデューサーの青柳脩氏は、私の取材にこう答えた。
「歌が大ヒットするのは楽曲の良さはもちろんありますが、歌い手が持っているオーラというものが大きい。『YOUNG MAN』の場合、西城秀樹という歌手が持っている健康的な明るさ、若々しさが大きかったのではないでしょうか。郷ひろみや野口五郎が同じ曲を歌っても、あれほどのヒットはしなかったと思います」
実はあの歌は、アイドル歌手として最前線を突っ走っていた西城にとって、大きな賭けでもあった。
前年の78年晩秋。プライベートなのか仕事なのかは定かでないが、23歳の西城はアメリカ・ロサンゼルスを走る車の中にいた。カーラジオから流れてくるその曲を聴いて、電流のような衝撃が走ったという。
ヴィレッジ・ピープルというグループが歌っている「Y.M.C.A.」だった。帰国後、「『Y.M.C.A.』を歌いたい」と言ってスタッフたちを驚かせた。元は同性愛をテーマにした歌。だが、青春賛歌の日本語にカバーして発売した。
歌謡曲に活気があった時代だった。歌手への追っかけ中継もよくやっていた。新幹線が停車中に駅のホームで歌ってもらったり、高速道路を走行中の車に乗っている歌手を撮影したこともあった。
日本経済もオイルショックから立ち直って80年代のバブル景気に向かって走っていた。そんな中、日本中に元気と勇気を与え続けたのが西城秀樹という歌手だった。
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