横尾忠則が病気になるたびに「死んで当然」と考える理由 理想の「終の棲家」は?

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 病院嫌いの人は多いけれど、僕みたいに病院好きの人間は珍らしいかも知れませんね。採血とか点滴は一瞬、痛いけれど、それ以外の内視鏡の検査などはまあなんとか我慢ができます。救急車で搬送された経験は10回はあると思います。このまま墓場に直行という恐怖もなくはないですし、病院に着いてからの救急処置にはある種の苦痛を伴うこともあるけれど、時には大したこともなく、想像をたくましくした結果の仮病だったのかなと思うこともあります。

 たまに「重篤」だから即入院と言われて家族が突然のパニックに襲われるかと思うと、妻は意外と冷静を装っているように見えます。彼女は心のどこかで、また毎度のことだ、ぐらいにしか思っていないのかも知れません。僕は病気になると、すぐ死を連想してしまいます。「死んで当然!」と思うことで、安心? するクセがあるのです。生きていることの中にすでに死が内在していると実証したいのかも知れません。死ぬ前に、先きに死ぬと決めた方が安心するのです。この辺の複雑な心情はちょっと上手く説明できませんが、入院という不安と安心が僕を複雑にさせてしまうらしいのです。やがて、今回の入院では死なないということがわかると急に創造意欲が湧いてきて、アトリエから画材道具を運ばせ、病室をアトリエに模様替えしてしまうのです。

 こんな僕の心境を読めるのは主治医の先生だけで、看護師さんは、そこまで深くは理解できないので、「何んで絵を?」と先生に疑問を呈するらしいのです。病気→入院→アトリエ化の生活が始まると、なぜか健康で絵を描いている時よりも、創造の本質に迫れるような気がしてくるのです。しかし、肉体的にはまだ不十分です。肉体の欠陥を感じながらも、病院が肉体を守護しているという安心感! この気持が僕を創造的にしてくれるのです。つまり病んでいるけれど、どこかで守られているという保証があるかないかで、全然違うのです。100%健康では絵が描けないのです。保証された不健康が必要なんです。

 とか、なんとか、理屈をこねていますが、そんなわけで病院が好きなのです。入院するほどの大病を患らっていなくとも、病院に行くのは嫌いじゃないです。今は2人の先生の定期診察というルーティンがあるので、その日が来るのが愉しみです。現在の自分の肉体の様子をことこまかく知ることは、僕自身の存在の解明をされているようで、興味津々です。自分自身を知ることは自分の肉体を知ることでもあります。「私とは何者か?」と哲学的になる前に、先ず肉体のアイデンティティを理解することが僕にとっては必要なのです。

 絵を描く行為は、頭脳的行為ではなく、肉体的行為だからです。絵は知性も理性も関係ない。そうしたものをむしろ追放することによって初めて、創作の極致に達すると考えているのです。その極致というのは感性と肉体の同一化、つまり魂と霊性の一致なのです。そのためには常に頭を空っぽにしておく必要があるのです。

 病気は頭を考えで埋めつくしてしまう結果の症状で、でも空っぽになるためにはいったん埋めつくす必要もあります。つめるだけつめ込んで、パッと手離す必要があります。僕が病院に行く理由は、つめ込んだ考えをパッと手離してくれるからです。病院というより肉体の駆け込み寺といった方がわかりやすいかも知れませんね。

 僕にとって一番の理想の棲家はもしかしたら別荘でも、高級ホテルでもなく、病院かも知れません。アトリエ付きの病室が与えられたら、ここを終(つい)の棲家にしてもいいですね。スイスかどこかの風光明媚な大自然の中のサナトリウムみたいな所が日本にあれば、すぐにでも入院したいです。

 まあ、こんな妄想にいつもとりつかれています。絵は妄想の産物です。妄想力のない人はアーティストに向いていないかも知れませんね。あれこれ想像したことをまるで事実であるかのように信じ込んでしまう心的傾向が必要ですが、病気が正にこれではないかと思います。救急車で搬送されながら、これって妄想の結果生じている一種のパニック症ではないかと思うことがあります。とすると、救急搬送そのものが、まるでパフォーマンス的芸術行為ではないのか? と救急車の中で冷静になることもありますが、「エエイ! 搬送されてしまったんだから、この事実に従がうべきだ」「このような非日常的行為こそ芸術のために不可欠だ」とかなんとか理屈をつけて、起こってしまった事実に従がおうと、まるで禅の思想に自分自身をゆだねてしまうのです。妄想が妄想を生んでしまうのですが、そういえば「妄想」は仏教用語にもあったと思うんですが……。

 この文章自体がかなり妄想的になってしまいました。まあ生きるためには妄想も必要じゃないでしょうか。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2015年第27回高松宮殿下記念世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。22年度日本芸術院会員。

週刊新潮 2023年8月31日号掲載

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