なぜ高齢者の幸福度は高い? 人生を救う「あきらめ」の境地(古市憲寿)

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 福島県のふたば未来学園へ行ってきた。震災後の2015年に開校した中高一貫校である。毎年夏に開催されるサマースクールの講師として招かれたのだ。ワークショップをした中学生たちは2010年前後の生まれ。もはや直接的には震災の記憶を持たない世代だ。

 子どもから面白い質問をもらった。大人になっていくほど悲しいことが増えると思うが、それをどう乗り切ればいいかというのだ。

 確かに大人には悲しいことがたくさんある。仕事上のトラブル、友人や家族との別れなど生きている限り悩みは尽きない。

 だがそれは客観的な話だ。主観的には10代の方がよほど悲しいことが多いと思う。なぜなら大人と比べて圧倒的に少ない経験しかない上に、あまりにも狭い世界を生きているから。

 たとえば中学生が友人(と思っていた人)から絶縁を告げられたら、世界が終わったような気持ちになるだろう。食事が喉を通らなくなったり、不登校になってしまうかもしれない。

 同じことが起これば大人でも悲しいだろうが、経験値が違う。年を重ねるにつれ別れの耐性もついていくし、知り合いの数も増えていく。結果として主観的な悲しさは10代よりもはるかにマシなのではないか。

 比較対象と選択可能性が増えるほど、悲しみは小さくなる。同様の理由で、残念ながら、喜びも小さくなる。飛行機や新幹線に乗ったくらいでは胸は躍らなくなるし、ゲームや本もダウンロードして終わりということが増えていく。

 一般に、年を取るほどこの傾向は強まる。しかし幸福度や生活満足度を調査すると、高齢者の方が現役世代より高い数値を示すのだ。一見すれば不思議である。体は衰え、病気にもなり、大切な人との別れも増えていくはずなのに。

 なぜ高齢者は幸せなのか。有力な説は「あきらめ」である。どんどん人間はあきらめやすくなっていく。どんな悲しいことがあっても、過去や他人と比べて「今の私の方がマシ」と思いやすくなる。それが結果として高齢者の幸福度を上げているのだ。

 もし10代と同じ感受性で高齢になったら大変だろう。それくらい実際には悲しいことがあるはずなのに、「あきらめ」のおかげで幸せだと思えるのだ。

 友人の伊藤洋介さんが還暦を迎える。近頃、SMAPの「世界に一つだけの花」が染みるのだという。なぜならもう「No.1」になれないことがわかったから。歌詞が主張する「ならなくてもいい」ではなく、年齢的に「なれない」のだ。必然的に「only one」を目指すしかない。

 だが僕の知る限り、伊藤さんにはしっかりと「No.1」がある。異様に葬儀慣れしているのだ。一緒に知人の告別式に参列した時など、今にも会場を仕切り出しそうな雰囲気だった。それくらい葬儀を熟知している。つい最近も、1週間のうち5日喪服を着ていたという。通夜、告別式、一周忌などの法事が重なったらしいが、もはや葬儀屋である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年8月31日号掲載

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