お土産を買って帰ると、第一声は「いくらしたの?」… 46歳夫が気になっていた素直にありがとうと言えない妻の“性格と情の薄さ”

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 お笑いトリオ・ジャングルポケットの斉藤慎二さんの浮気が世間を騒がせている。日頃からいい人のイメージが強く、さらにいじめサバイバーでもあり、家族思いでも知られていた。それだけに、不倫とのギャップを世間は叩く。仲のいい家族を自認していながらも、機会があれば不倫してしまうのは、人間の弱さなのかスケベ心なのか。いずれにしても、男女問わず「絶対にバレないという確約があれば」、浮気のひとつやふたつしてしまうものではないだろうか。

 問題はなぜ、そのときに自制心が働かなくなるか、だ。自制心の効き方に個人差があるのかもしれない。

「昔から、つきあう女性に言われていました。優しすぎる、情が濃すぎるって。つきあっているときはすごく大事にされている気がするけど、前の彼女から電話がくれば、そちらにもいい顔をするのがすごく嫌だと。自分で役に立つことがあれば全力でしたい。そう思っているだけなんですけどね。それが今の事態を招いたのだから、何の言い訳もできませんが」

 現在、妻と不倫相手との間で苦境に立たされていると語る岡野知之さん(46歳・仮名=以下同)。

 優しすぎると言われても本人は困るばかりだろう。いい人だと思われたいわけでもないし、自分はそういうふうにしか生きられないのだから。

「実はうちの両親はそれぞれ障害があったんです。父は車いすだったし、母は若いころに事故で左手を失っていた。そんなふたりが35歳のときに巡り会って、僕は人工授精で生まれた。両親ともきちんと仕事をしていたし、なによりふたりは明るかったから、僕も両親の障害を深刻に考えたことはなかったけど、今になって思えば、普通の子より親の手伝いはよくしていたと思う。 残念だったのは、僕が大学を卒業して就職する直前、父が亡くなったこと。まだ50代でした。それでももともとはそれほど生きられないと言われていたらしいから、がんばって長く生きてくれました。父の最後の言葉は『きみがいたから僕は生きる勇気がわいた。ありがとう』でした。泣けるでしょ」

 少し笑いながらそう言ったものの、知之さんの目も濡れていた。母は健在で、80代の今もひとりで元気に暮らしているという。

“困っている人”だった妻

 そんな子ども時代を送ったからなのだろうか、彼はいつでも周囲に目配りをし、困っている人には自ら近寄っていく。

「のちに結婚した妻も、そういう“困っている人”でした。仁美とは会社の同期なんです。みんな仲がよくて、月に1回は集まっていました。あるとき彼女が僕に相談があると言い出して。初めてふたりだけで会ったのが入社2年後くらいのときでしたか。彼女が困っていたのは、『実家の弟』でした。弟は大学生のときに人間関係で挫折して中退。それからはときどきアルバイトをしては、遊んで使ってしまう生活。しかもそのころは親に金をたかり、思うようにならないと暴力をふるうようになっていた。親の言いなりのいい子だったらしいから、その反動かもしれませんが、親はびくびくしながら暮らしているという。彼女は家を出てひとり暮らしをしているけど、親が心配でたまらないって。そりゃそうですよね。放っておけないと思いました」

 彼は彼女の「恋人」として、実家に赴き、話を聞いた。弟にも会った。時間をかけて弟と言葉を交わすようになり、外へ連れ出したりして仲良くなった。3年近くかかったが、弟はある日突然、「兄貴、ありがとう」と言い、とある職人になると、地方へと旅立って行った。今は職人としていい仕事をしているらしい。

「仁美にもご両親にも感謝されて、僕自身、うれしかった。気持ちが高揚したまま、彼女と結婚しました。それまで恋人関係でも何でもなかったんですが、先に実家と仲良くなってしまったし、彼女と結婚するのが自然のなりゆきだった」

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