「慶應高」“夏の甲子園優勝”で盛り上がるOBに、なぜ“冷たい視線”が集中するのか そこはかとない“違和感”の正体(ネットニュース編集者・中川淳一郎)

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一体感プレイ

 さすがにそんな余裕もないので、卒業して会社には入ったものの、「個」としての慶應出身者は意外といいヤツが多かったのですが、組織化されると妙な宗教っぽさと高すぎるプライドがあり、馴染めなかったです。さて、私が決定的に組織としての慶應出身者を嫌いになったエピソードが以下です。高校野球の件で慶應への違和感がネット上で噴出していた時、本稿を書くにあたってツイートしたものです。

〈これから慶應dis原稿書くが、オレが慶應を嫌いな理由は慶應卒男の結婚式に行った時。「塾生集合ー!」と応援団が登場。陸の孤島とかいう応援歌を歌うことになりそうだったが、オレも彼を祝いたくて前に行ったら「あなた、塾生じゃないでしょ、出て行って」と中井という女から言われたことがあるのよ〉

 これには本当に驚いた。応援歌を歌う時など宴がクライマックスに至るところで皆酔っ払っているわけです。そして肩を組んで左右に揺れながら歌うことは予想がついていました。そこに一人増えたら枯れ木も山の賑わいということで、より盛り上がる感じにはなるでしょう。しかし、中井は私を排除したのです。隣の男はポカーンとしており「おい、中井、さすがにそれはしないでいいんじゃねーか?」といった表情をしていましたが、中井は私を追放。私はトボトボと席に戻り、塾員が一体感プレイをしている様を見学したのでした。

慶應独自の用語

 なお、上記ツイートでは「塾生」と書いていますが、本稿で「塾員」と書いている理由は単純。このツイートに対して「OBのことは『塾生』ではなく『塾員』と呼ぶ。よって、この話は創作」と書かれたのです。知るかよ、そんなもん。はいはい、間違えてごめんなさい。

 それにしてもこの慶應独自の用語とか気持ち悪いですわ。「体育会」ではなく「體育会」だし、「先生」は福沢諭吉先生しかいないため、教員は「君」で呼ばれる。「学生」ではなく「塾生」。河合塾か男塾でも行っとけ。

 とまぁ、今回、の高校野球で噴出した慶應への違和感ですが、表立ってこれを言えないのは「お前、学歴コンプレックスがあるからだろwwww そして慶應卒のエリートより年収少ないからだろwwww」と言われるからでしょう。あんま気にしないでいいと思いますよ。違和感を覚えたらバンバン言える社会が正当だと思います。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。最新刊に『よくも言ってくれたよな』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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