『VIVANT』放送後、監修をつとめた元公安警察官の前に元「別班」の男性が現れた 彼は何を話したか
「藤原岩市」
「メールの送り主は防衛省情報本部出身の男性で、早期退職して現在は民間企業に勤務しているそうです。私がドラマの監修をしたことを知っていて、私の著書も読んでいました。私とビジネスの話がしたいと、接触してきたのです」
情報本部は、国の安全保障に関わる動向分析を行っている。
「私は用心して、公衆電話からメールに記載されてあった彼の携帯に連絡しました。すると、どうしても会って話をしたいというので、数日後、都内のレストランで会食することになりました」
そこで勝丸氏は、彼から驚くべき話を聞かされたという。
「『信じてもらえないかもしれませんが……』と前置きして、『実は、私は別班に所属していました』と言うのです。流石に驚きましたね」
勝丸氏は、別班が作られた経緯を聞いてみた。
「戦後に警察予備隊ができた頃、陸軍参謀本部の情報将校だった藤原岩市が中野学校の残党を集めて別班を作ったそうです。藤原は中野学校の教官も兼務していました。彼は1941年、駐バンコク日本大使館に派遣され、アジアの民族解放を手がける特務機関『F機関』の長として活躍。彼らの任務はマレー人、インド人、華僑を味方にすることでした。『マレーの虎(ハリマオ)』と呼ばれたマレーシアで暮らす谷豊を諜報要員として起用したのが藤原でした」
別班の拠点は、東京の小平市にあったという。
「小平には現在、陸上自衛隊小平学校がありますが、そこで特殊訓練を行ったといいます」
別班はその後も脈々と受け継がれ、今に至るという。
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