理不尽な「ブラック校則」はなぜ生まれたのか 元教員は「昭和の時代に生徒を守るためには必要だった」

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一度決まったものを変えられない日本

 そういった時代遅れの校則を一切変えようとしないのも、いかにも日本らしい。日本という国は、一度決まったものを変えるのには莫大な手間と労力がかかる国なのである。

 戦前の愚かな戦争も、日本はミッドウェー海戦で主力空母が4隻失われ、サイパン島を落とされた時点で詰んでいるのに、最後まで損切りができなかった結果、東京大空襲や原爆投下の悲劇を招いた。今年まで3年半も続いたコロナ感染対策も、世界中の国が次々と取りやめる中で、日本は撤廃まで時間を要してしまった。

 日本には、何か起こった時に責任をとりたくないという風潮がある。校則は法律や条例でもないのだから、特に私立などは理事長や校長が決めれば変わるのに、それができない。公立校は教育委員会などで何回にもわたる審議が必要だったりするため、なおさら変えることができない。

「髪型を自由化したら学生がリーゼントにするのではないか」「制服を撤廃したらコスプレをして学校に来るのではないか」など、どう考えても起こりようがないリスクまで心配してしまうのが、教育関係者である。そんな心配をする人なんているのかと突っ込まれそうだが、実際にいるからタチが悪いのだ。リスクに怯えて決断できない大人の存在が、ブラック校則を令和の時代まで維持させている根源である。

令和の子どもは理想の生徒像か

 では、当の生徒たちはブラック校則をどう思っているのだろう。識者の間ではネットでブラック校則を問題視する声が上がっているのに、生徒が授業をボイコットしたり、学生運動を起こす気配はまったくない。一昔前なら、学校の制服を撤廃して自由化しようなどという運動もあったが、今ではさっぱり聞かなくなった。意識高い系の学生からあれだけ嫌われた制服は、敢えて制服を着ておでかけする“制服ディズニー”のように青春の象徴として親しまれるようになっている。

 結局、生徒側も今の校則に、特段の不自由を感じていないのだ。そして、生徒は教員の言うことを聞く、いい子になったのである。3年間に及んだコロナ騒動を思い出して欲しい。不良ですら社会のルールに従順だったし、若年層はコロナに感染しても重症化しにくいと言われていたにもかかわらず、高齢者に感染させないためにせっせとワクチンを何発も打ち続け(そうした対策に効果があったのかは不明)、高熱などの副作用で寝込みながらも、周りに迷惑をかけないようにと子どもたちは規律正しく行動したではないか。

 規律正しく、美しい。子どもが大人や高齢者に歯向かわず、言うことをよく聞く。高齢者をコロナから守るためには、自分たちの貴重なアオハルの行事がなくなっても我慢する。こうした令和の学生こそが、戦後の日本の教育者や大人が夢見た理想の生徒像だと筆者は考える。こうした社会に反逆せず、大人の命令に忠実に従う現代の子どもたちが、大人になった時に創り出す社会はどのようなものになるのだろうか。それは誰にもわからないのである。

デイリー新潮編集部

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