理不尽な「ブラック校則」はなぜ生まれたのか 元教員は「昭和の時代に生徒を守るためには必要だった」

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校則は生徒を守るために作られた

 校則は管理型社会の象徴として批判の対象になっている。確かに、茶色い地毛を黒く染めろなどというのは明らかに人権侵害だし、やりすぎだろう。しかし、髪型や髪の色まで細かい規定があるのは、むしろ生徒を犯罪から守るための一種の親心だったのではないか、と筆者は考える。

 元暴走族の構成員を取材したときに聞いた話だが、90年代のある関東地方の町では、早朝の駅に地域を仕切る不良の手下が立っていて、登校する生徒を一人一人監視していた。そして、髪を茶髪にして“調子に乗っている”生徒がいようものなら、坊主にするように脅していたという。先の教員はこう話す。

「下着はどうだかわからないけれど、昔はちょっと派手な服装をしているだけで目をつける不良が、そこらじゅうにいたんだから。だから、生徒にとっても坊主頭のようにとことん無難な見た目の方が、都合がよかったんだと思うよ」

 昔の不良は、鞄の厚さとか、歩き方がガニ股だとか、1年生のくせに長髪だとか、今からすれば実にしょうもないことで難癖をつけ、喧嘩をしていた。確かに、当たり障りない髪型にしておいた方が喧嘩に巻き込まれるリスクも減るだろう、それが生徒個人のためなのだ、と大人が考えるのも自然な流れかもしれない。

ゲーセンやコンビニが不良のたまり場だった

「学校帰りにゲーセンに立ち寄ってはいけない」という校則も、子どもを守るためのものだろう。今やゲーセンはデートスポットであり、家族連れの休日のお出かけスポットになるほど健全化しているが、かつては不良のたまり場と言われたほど治安が悪かった。

 筆者の友人は、中学生の頃、地域の伝統行事のようなお祭りにすら参加してはいけないと言われたという。それは、お祭りが不良のたまり場と化していたためであった(今もそうなっているお祭りはあるが)。神社で堂々といちゃついているカップルもいたし、コンビニの前で堂々とシンナーを吸うヤバい奴までいて、警官がやってきていたと話していた。

 筆者が子ども時代を過ごした秋田県の田舎でも、駄菓子屋に行った小学生が高校生からカツアゲされている例があったし、中学時代には近所の河川敷で“決闘”が行われた例もあった。お祭りの時もスーパーの裏側が不良のたまり場になっていて、白昼堂々、行為に及んでいるカップルを見たこともある。近づくなと言われるのは当然だろう。

 筆者は、当時保護者や教師から問題視されたお祭りの運営にボランティアで関わっているが、そんな不良はまったく見かけない。問題行動を起こす青少年など、ゼロである。タバコをふかすような10代など、どこにもいない。今や人口減少が進みすぎて子どもの姿が少なくなってしまい、過疎化、高齢化、少子化という別の社会問題が発生している。

 また、保護者や地域住民も、学校に無理な要求をしてくる。本来なら家庭で指導すべきことまで学校に押し付ける。これが、教員の職場環境がブラック化している最大の原因である。ブラック校則は、そういった保護者や地域住民のクレーム対策のために制定された一面もあるのではないだろうか。今だったらX(旧Twitter)に載せれば炎上するようなことを子どもたちは平気で行っていたし、とにかくマナーが悪かった時代があったのである。

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