「2億円の借金を返すために作家になった」 直木賞作家・山本一力が語った凄絶な貧乏暮らし 「受賞した段階でまだ400万円の借金が」

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 時代小説の名手で直木賞作家の山本一力氏。かつて2億円の借金を背負った際、返済のために書き始めた小説でデビューすることになった山本氏が、借金完済までの道のりを語った。

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 俺も75年の人生でいろんな借金をしてきたけれど、金を借りるってことには大きく分けて二つあると思っているんだ。

 一つは、前向きな借金。もう一つは、後ろ向きな借金。

 俺は18歳で高校を卒業した後に旅行会社の近畿日本ツーリストに入社したんだ。当時、どうしても家にオーディオセットが欲しくてよ。でも、働き始めたばかりの俺にそんなものが買えるわけがないから、月賦払い、つまりローンで買ったんだ。

 ローンなんて言うと聞こえがいいけど、結局は借金だろう。でも、家でも車でも、欲しいものを手に入れるために金を借りる場合、買う方にも勢いがあるから当人はそれが借金だなんて思っていない。この借金はいたって前向きなんだ。

残った2億円の借金

 厄介なのは、もう一方。首が回らなくなった人間がする、後ろ向きの借金だよ。

 もちろん、俺にはこっちの経験もある。なにせ、物書きになった理由が、この後ろ向きの借金なんだから。

 俺は40歳を過ぎた頃に今のカミさんと出会って、1991年に42歳で3度目の結婚をしたんだ。幾度目かの転職を経て会社勤めを辞め、その頃はデザイン会社を経営していたんだけど、試練が訪れたのは、その会社とは別に映像制作会社を立ち上げたときだった。

 コピーライターや広告業の経験もあったからビデオ制作も何とかなるだろうと思っていた俺のもくろみが甘かった。何をやっても売り上げは伸びず、動けば動くほどドツボにはまる。すぐに資金繰りに行き詰まり、会社は倒産。残ったのは2億円の借金だけだったよ。

 2億円といやぁ、サラリーマンの生涯賃金と変わらない額だ。当時はバブルが弾け、日本中が不況の真っ只中。40代も半ばを過ぎた男が勤め人になってせっせと働いたところで到底返せるような額じゃない。

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