中日・大島洋平が偉業達成 「史上最年長」に「過去最低打率」も…“2000本安打”珍エピソードを持つ達成者を振り返る!

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29歳まで通算149安打

 故障知らずの丈夫な身体と、ゆっくり時間をかけて地道に積み上げてきた“カメの歩み”が、史上最長記録のプロ25年目(それまでは日本ハム・田中幸雄の22年が最長。18年にロッテ・福浦和也も25年目で記録)の金字塔を打ち立てた。

 15年に、前出の谷繁の史上最年長記録を更新したのが、中日・和田一浩である。

 6月11日のロッテ戦、通算2000安打まであと「2」に迫っていた和田は、1回の1打席目に左前安打を放ち、早くもリーチをかけると、2回2死一塁の2打席目に植松優友から左翼線安打を記録。史上45人目、史上最年長の42歳11ヵ月で快挙を達成した。

 直後、ベンチからお祝いの花束を持って飛び出してきた谷繁元信兼任監督は、くしくも自らの最年長記録が自軍の選手によって、塗り替えられる瞬間を目の当たりにしたことになる。

「ひとつの区切りだぞ。まだまだだぞ」という指揮官の言葉に胸を熱くした和田は「プロ入りしたころは、2000本は異次元。目標でもなかった。家族、両親、球団の方。いろんな方が僕の野球人生に関わってくれた。頑張った姿を見せられて良かった」と周囲への感謝の気持ちを口にした。

 西武時代、29歳まで通算149安打にとどまっていた控え捕手が、西武最終年の35歳から中日FA移籍後にかけての7年間で1126安打を量産するという“超遅咲き”の結果でもあった。

 実は、最年長記録はアクシデントの“副産物”だった。2000本の大台まであと「15」となった14年8月6日の広島戦で、バリントンから死球を受け、右手首を骨折。そのまま残りシーズンを棒に振ってしまった。

 もし死球禍がなければ、8月中、遅くとも9月までには2000安打を達成していたはずで、結果的に翌シーズンに持ち越されたことによって、史上最年長記録が生まれるのだから、これも人間の運命の不思議さである。

 15年9月24日の阪神戦が引退試合となった和田は、2回に秋山拓巳から左翼線に通算2050本目の安打を放ち、19年間の現役生活の花道を飾っている。

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