レジェンド作詞家「売野雅勇」が、ミスチル「桜井和寿」の“愛車と出身地”を知りたがった深すぎる理由

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「このままここにいたら、“人間”を描けなくなるんじゃないか」

――桜井さんの出身地の方は。

売野氏:それもマネージャーが聞いてくれて「東京都練馬区です」と。いや、そりゃ違うんじゃないかと思って「本当か?」って念を押したら、「練馬区です。売野さん、なんか息巻いていますけど、耳がおかしいんじゃないですか」って(笑)。でも、それからも気にしていたら、「月刊カドカワ」で「総力特集Mr.Children」というのが出たんです(1995年10月号)。もちろん買って「痕跡があるはず」と目を皿のようにして読んでいたら、出てたんですよ。「僕はお婆さんが山形だったので、小学校の時から毎年夏休みは山形で過ごしました。第二の故郷みたいなもんです」といったことがちゃんと書いてあった。これが鼻濁音の正体です。お母さんが山形の出身だったかな。その影響で鼻濁音を身につけられた。そして桜井君のバックグラウンドに、自然に恵まれた山形の風景があることがわかったんです。

――ミスチルの詞の世界を構成する要素が判明したんですね。車を替えた効果ってあったんですか?

売野氏:ジワジワと影響を受けていたでしょうね。いちばん大きな変化は、作詞のスタイルが徐々に変化して顕在化してきたことです。それは、桜井くんを発見する前から無意識に始まっていたのだと思います。彼の歌詞を意識し出したのも、そのひとつの現れかもしれませんね。創作のために環境を変えたという話では、その少し後、東京タワーのすぐ近く、狸穴に住んでいたことがあって、子供が「この辺はおしゃれだね。外国人が多いね」と言ったのを聞いて、フと気がついたんです。確かにおしゃれだけど、どこか表層的。僕はしゃれた物が好き、きれいな物が好き。これは創作する上で長所になるけど、同時に短所でもあるんですね。このままここにいたら、“人間”を描けなくなるんじゃないか。そう考えて上野池之端に引っ越しました。

――港区から台東区の下町エリアへ、生活拠点をガラッと変えたんですね。

売野氏:そしたら、以前なら書くはずのない演劇や朗読劇の脚本がすぐに書けちゃったんです。そのひとつが、初代市川右近(現・三代目市川右團次)さん主演の朗読劇「下町日和」。右近さんの師匠の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんが見にきてくれて、劇中に登場した兄弟を気に入ってくれてね。「次は是非、別れた兄弟を会わせてください。タイトルもできました」と次作の展開まで考えてくれたんです。あれは上野界隈に住んでなかったら書けなかったと思います。

売野雅勇(うりの・まさお) 1951年生まれ。栃木県出身。上智大学文学部英文科卒。コピーライター、ファッション誌「LA VIE」副編集長を経て、1981年に作詞家デビュー。1982年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし作詞活動に専念、チェッカーズ、近藤真彦、河合奈保子、郷ひろみ、稲垣潤一、オメガトライブなどへ数多くの作品を提供。80年代アイドルブーム、シティポップブームの一翼を担う。90年代以降は坂本龍一、矢沢永吉、中谷美紀、GEISHA GIRLS、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。映画・演劇にも活動の場を広げた。作詞活動40周年を記念し、著書「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」が文庫化。詞を提供した作品から12曲を厳選し短編小説12篇を書下ろしたコンピレーションアルバム「MIND CIRCUS 午前0時のLOVE STORIES」が発売中。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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