レジェンド作詞家「売野雅勇」が、ミスチル「桜井和寿」の“愛車と出身地”を知りたがった深すぎる理由
「自分も変わらざるを得ないと、本気で思いました」
中森明菜の「少女A」やチェッカーズの「涙のリクエスト」など、多数のヒット曲を生み出してきた作詞家の売野雅勇氏。この夏から「作詞活動40周年」を記念するリリース、イベントが続いている。ここまで長く創作活動を続けられた裏では、20歳近く年下のアーティストの作品に衝撃を受け自らにアップデートを課したことや、作風を変えるために住む地域を変えたこともあったという。(前後編のうち「前編」)【華川富士也/ライター】
【写真】中森明菜にチェッカーズも…多くの人々の青春時代を彩った珠玉の「売野作品」
――売野さんは1981年に作詞活動を始め、82年に中森明菜の「少女A」が大ヒット。その後、チェッカーズ、稲垣潤一、吉川晃司ほか数々のヒット曲の詞を手掛けてきました。この40年間、バブル景気(1980年代後半~91年)、バブル崩壊(91~93年)、リーマンショック(2008年)など大きな社会状況の変化がいくつもありました。作詞に影響があった出来事はありますか?
売野氏:ひとつは90年代前半ですね。バブル崩壊そのものはそんなに気にしなかったんだけど、ちょうどその頃、新しい人が出てきましてね。自分の時代が終わりつつあることはちゃんとわかっていましたが、ただ、自分を時流にアジャストしようとか、そういう気持ちは全然なかったんです。ところが1994年にMr.Childrenが「イノセント・ワールド」のヒットをきっかけに大ブレイクしたでしょ。凄い勢いで売れた。
――8作連続で100万枚越えという大ヒットを記録しました。
売野氏:彼らの歌詞を読んだら、描かれていたのは真面目で質実な世界。あれだけ売れたということは、多くの人が共感して、世の中がそっちの方に本格的に動こうとしているということ。時代の潮目だ。浮かれていられる時代は終わった。自分も変わらざるを得ないと、本気で思いました。
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