「保科さんの表情を見れば売れるかどうか分かる」 夢グループ社長が明かす“相棒”の「意外な任務」とは?
通販、芸能を中心に年商200億円を超える「夢グループ」の名物社長、石田重廣氏(65)。石田社長が語った「初めての借金」、起業までのドタバタ、そして“相棒”で歌手の保科有里の重要な任務とは――。
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高田馬場の学生ローンで15万円、水道橋の学生ローンでもう15万円。あの時初めて手にした札束から漂ってきたお札のインキの匂いは、65歳になった今でも忘れることができません。
僕が初めてお金を借りたのは19歳のときでした。当時、僕は故郷の福島県を離れ、東京で下宿しながら大学受験の予備校に通っていたんです。ところが、いざ出願というときになって、親が送ってくれた受験料16万円を封筒ごと友人に盗まれてしまいました。
親に頼んでもう一度受験料を送ってもらうこともできたのでしょうが、よく考えてみたら自分は大学に行って何かしたいことがあったわけでもない。盗んだ友人も金が必要な事情があったんだろうと考え直し、大学受験はやめにして、自分で働いて生計を立てようと思い立ったのです。
親に「受験料を盗まれた」と言うわけにもいかず、僕はその頃住んでいた下宿を出ることにしました。当時の東京のアパートは月の家賃が4万円程度。敷金や礼金も含めれば、引越しには約30万円が必要です。浪人生にそんなお金があるはずもなく、学生ローンの門をたたくことになりました。
アルバイト先のレジの金を持ち帰り…
まずは高田馬場にある学生ローンに行ったのですが、初めてですから、金額欄に最初から30万円と書く勇気はなかった。でも親の同意もいらず、名前と住所だけで、ものの1時間もしないうちに15万円が手に入った。こんなに呆気なく借りられるなら、と水道橋のお店も訪ねたのです。
結局、私の“家出”は数カ月後に両親の知るところとなりました。東京に来た母に「やっぱり大学には行かない」と言うと、母は叱ることなく私の思いを受け入れてくれましたね。
ただ肝心の就職活動は苦労の連続でした。アルバイトは3軒続けてクビ。牛丼チェーンで賄(まかな)いの牛丼を食べずに、その分の金額をレジから持ち帰っていたりしたから、それも当然です。でも、働いた経験のなかった僕にはそんな常識すら分かりませんでした。
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