永遠の18歳「岡田有希子」と豊田商事事件【メメント・モリな人たち】

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モノではなく「情報」が売れる時代

 報道も過熱していた。岡田が自殺した翌日の4月9日から11日までの3日間で、テレビが報じた関連番組は25本。記憶に新しいのは、目を背けたくなるほど痛ましい彼女の最期の姿を掲載した写真週刊誌である。

「アイドル歌手であったというだけで、どうして死んだ姿まで見せ物にならなければならないのか」

「“出版の自由”を盾にした金儲け主義。非人道的とも思える行為が多くの人を悲しませた」

 このような読者からの激しい憤りの声が事件のあと、朝日新聞の朝刊「声」欄に掲載された。

 彼女は芸能界で生きてきたタレント、しかもトップアイドルなのだから、マスコミが動くのは当然だが、あまりにも度が過ぎていたのではないか。

 筆者は当時25歳。ある新聞社の社会部記者だったが、「自分の行く末を、もう少しじっくり考えたい」と退社。学習塾で講師の仕事をしながら、お金がたまると文庫本を持って日本各地を旅していた。いわゆるフリーアルバイターである。

 岡田が自殺した日は九州の鹿児島にいた。宿泊先のホテルで見たテレビのワイドショーは「自殺の謎」「親友が語る真相」「失恋が原因」などとセンセーショナルに報じていた。「正気を失ったのではないか」と思えるほどすさまじい報道合戦。驚くというより、ぞっとした。

 この感覚は、豊田商事事件(85年)の永野一男会長(1952~1985)が惨殺された現場で、テレビカメラマンが暴漢を制止することもなく殺人現場を撮影して、社会から厳しく批判されたときと似ている。「おまえたちは倫理がないのか!」。あのときは、新聞社に電話をかけて抗議した記憶がある。

 岡田が自殺した86年は、日本経済がバブル化の一途をたどりはじめた年である。浮遊する社会を反映するかのように、モノではなく「情報」が売れる時代になった。時代の空気が「重厚」「苦悩」から「軽み」「遊戯」へと変わっていく中で起きたのが岡田有希子の自殺だった。

 誰かと結婚したのでもない。美しさに衰えが見え始めたのでもない。ファンを裏切らない「永遠の18歳」。しかも、ただのアイドルではなく、ガールフレンド、恋人、姉、妹などとさまざまな役目を背負った身近なスターでもあった。

 次回は歌手・西城秀樹(1955~2018)。脳梗塞を2度発症し、右半身と言葉が不自由になったが、懸命のリハビリを続けた。急性心不全のため63歳で旅立ってから5年。「永遠のヤングマン」の軌跡を追う。

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■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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