永遠の18歳「岡田有希子」と豊田商事事件【メメント・モリな人たち】
現役アイドルの突然の自死――その衝撃は瞬く間に広まり、過熱報道もあいまって後追い自殺が続発、社会問題に発展しました。日本の新聞社で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回はわずか18歳で命を絶ったアイドル歌手・岡田有希子(1967~1986)の衝撃死を検証します。
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衝撃的だった現役アイドルの死
新聞記者になって35年。その間、何人かの同僚が自ら命を絶った。報道の現場は華やかなように見えるが、仕事や複雑な人間関係に悩み、孤独に追い込まれた人もいた。
自殺とは無縁のように見える人ほど、周囲に及ぼす衝撃は大きい。「しばらく会社に姿を見せないな」と思っていたら、自殺だったこともある。「どうして?」「何があったのか?」。あれこれ尋ねても、結局はよく分からない。
今回の「メメント・モリ」(ラテン語で「死を思え」)は、1980年代のアイドル歌手・岡田有希子(本名・佐藤佳代)、愛称「ユッコ」である。
1986年4月8日の昼過ぎ、所属プロダクションが入る東京・新宿の7階建てビル屋上から身を投げ、18歳の若さで命を絶った。場所は四谷四丁目。新宿通りの交差点角にあるビルである。1階にあった弁当店の経営者は、当時こんなことを話している。
「バタンという音がし、若い女の子が地面にうつ伏せに倒れ、間もなく大量の血が地面に広がった。お客さんも含め、突然のことで足がガタガタ震えた。すぐ119番したが、即死のようでした」(朝日新聞・86年4月8日夕刊・第1社会面)
ユッコこと岡田の経歴を振り返る。
愛知県名古屋市出身。勉強がよくでき絵を描くことも大好きだった少女は、いつしかアイドルを夢見るようになり、1982年、中学3年生の時、数々の人気アイドルが輩出したオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)に出場。翌83年の決勝大会でチャンピオンになり、大手芸能プロダクション「サンミュージック」からスカウトされた。
上京し、堀越高校に編入。84年4月、「ファースト・デイト」(作詞・作曲:竹内まりや)でデビューした。
歌唱力が抜群で、同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。「ポスト松田聖子」の呼び声も高く、86年春、高校を卒業したのを機に、下宿していた事務所の社長宅から南青山のマンションに引っ越した。都会での独り暮らしのスタートである。自殺の前々日の4月6日は地元の名古屋市でコンサート。前日の7日は休みだったという。
キラキラするような瑞々しい存在感。その一方、はかなげで、どこか憂いを帯びた表情が多くの人を引きつけた。さらなる活躍が期待された矢先、帰らぬ人となった。アイドルがアイドルであり続けることの難しさ、輝きを維持し続けることの難しさを投げかけた事件だったといえる。
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