「ビールはサイエンス」老舗和菓子屋の21代目が開発したクラフトビール インド進出を果たした成功の秘密とは
自分で作ってしまえ!
鈴木さんは幼いころから生き物好きで、東北大学農学部ではプランクトンの研究に没頭した。卒業後は実家に戻り、家業の餅屋を継ぐ。
毎朝、餅にきな粉をまぶし、半径20メートルですべてが完結する生活。幼少のころから想像していたとはいえ、思った以上に退屈だった。「餅屋で終わってたまるか」。そんな思いを抱いていたが、そこを脱する術は見当たらなかった。
しかし94年に転機が訪れる。酒税法の改正だ。ビール醸造の免許に必要な製造量が大幅に引き下げられたのである。
「これだ! と思いました。でも何か、ビジネスモデルが見いだせたわけではありませんでした。『ビールをつくれば微生物とまた遊べる!』。それだけでした」
実際、ビール事業に必要な設備投資は当時の年商の約3倍は必要だった。融資を渋る銀行を説得するが、当時はクラフトビールが地ビールと呼ばれていた時代。認知もされていなかったし、受け入れる土壌も日本にはなかった。必死に営業をかけても、「餅屋のせがれの道楽」と笑われ、事業は停滞した。
だが、鈴木さんはすぐに考えを変える。
「それならば自分のつくったビールで世界大会に参加して優勝しよう。知名度も上がるじゃん!」
と考え、有言実行で優勝してしまったのだ。
2003年に自社製造の「ペールエール」がオーストラリアで開かれた国際審査会で最高賞に輝く。日本のクラフトビールメーカーとしては初めてだった。「思いついたらやる。うまくいかなければ成功するまでやる」。それが鈴木さんだ。
鈴木さんがビールの開発から好みまでを綴った著書『発酵野郎! 世界一のビールを野生酵母でつくる』(新潮社)にはこんなふうにある。
「扱いは楽ではないが、野生酵母は培養酵母にはない独特の香りを持ち、商品としての大きな武器となる」
もちろん商品になるもの自体が稀なのだが、上述の「HIME WHITE」についても、
「独特で、コリアンダーと伊勢産のユズも加えて、ベルギータイプのクラフトビールに仕上げたが、これがかなりのじゃじゃ馬だった。発酵を始めた後いったん元気をなくし、3日ほどしてから急激に復活する不思議な特性なのだ」
「HIME WHITE」は、国際大会のインターナショナル・ビアカップで金賞を受賞し、今でも同社の代表的な製品になっている。
伊勢角屋麦酒は「HIME WHITE」や「ペールエール」など主力の9銘柄と年間約50種類の季節限定品を展開している。
2022年には「鉄道開業150周年」を記念して、オリジナルビールの醸造を実現した。日本最初のターミナルの新橋停車場の跡地付近の「ぼけの実」から野生酵母を採取し、製品化したのだ。
「誰もが都会でビールに使える酵母なんて採取できないと考えていました。それが奇跡のような確率で、野生酵母を採取できました」
商品は鉄道の起点を示す「0 mile post(ゼロマイルポスト)」と名付けられた。スモーキーな特徴のある香りはSL広場を想像させ、いかにも新橋らしい。一方、一口飲んでみると野生酵母が醸し出すフルーティーなあじわいが口の中に広がる。香りから味まで楽しめる伊勢角屋らしいビールだ。
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