「知らないうちに3億円の債務者に…」 元ピンク・レディー、未唯mieが凄絶な“借金地獄”を告白 全額返済できた理由とは?

エンタメ

  • ブックマーク

4千万円の貯金を一円残らず親に

 私がピンク・レディーとしてデビューしたのが18歳で、解散したのが23歳。うちの両親は私を一人で遠出させることもありませんでしたし、お小遣いも月ぎめではなく「必要なものがあったら言いなさい」というシステム。いわゆる“箱入り”で育てられ、自分でお金をやりくりする感覚なんて一切ありませんでした。

 それはデビューをしてからも同じ。最初は5万円のお給料からスタートしましたが、仕事に必要な経費は事務所持ちでしたし、そもそもプライベートの時間なんて皆無です。「社会に出たら親に恩返しするんだよ」と言われていたので、最初のお給料から1万円の仕送りをして。以降、親への仕送りは続けていましたが、必要最低限の私服を買うほか、自分でお金を使うことはほとんどありませんでした。

 解散後は手元に4千万円くらい貯金が残ったんですが、ピンク・レディー時代から引き続きお世話になっていたプロデューサーに「せっかくゼロから始めるなら親にあげちゃえば?」と言われ、提案通り、一円残らず親に渡しました。結局、自分で大金を動かしたことなんて一度もないまま、29歳のときに独立。新しい仲間と一緒に事務所を立ち上げたんです。

利息の返済だけで月に120万円

 周りはそんな私の未熟さを分かっていたのでしょう。負債発覚後、「会社と借金を一人で背負う」と言ったときにはスタッフや弁護士全員に反対されました。「大手のプロダクションに身柄を預けて再起を図ればいい」というアドバイスも受けましたが、そうする気にはなれなかった。小さい頃から父に「自分の責任は自分で取れ」と口酸っぱく言われてきたからかもしれません。

 でも、その父は、騒動のことを打ち明けると「そんなに大きな借金ができるというのは信用がある証拠。大したもんだ」と励ましてくれました。当時親しくしていた実業家の女性にも背中を押していただき、私は全くの未経験だった“返済”と“経営”の海に乗り出したのです。

 もちろん、厳しい船出であることは百も承知でした。4億円のビルは、バブルの崩壊とともに土地の値段が急落。売るに売れず、最初のうちは利息の返済だけで月々120万円が飛んでいき、事務所のランニングコストを合わせれば月600万円もの資金を稼ぎ出さなくてはなりませんでした。

次ページ:税務署に頭を下げ…

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。