15年ぶり帰国で刑務所へ 「在日タイ人」がタクシン元首相を圧倒的に支持していたワケ
8月22日、タイの新首相が、タイ貢献党のセター・タウィン氏に決まった。総選挙で最大政党になったのは、改革を訴える前進党だった。しかし保守派は前進党を孤立化させ、第2党のタイ貢献党は保守派と大連立を組んで首相の座を得た。
【写真】2011年の来日時には、日本の“赤シャツ派”たちが猛烈歓迎だった
民意を無視した政治的な策動を国民は冷ややかに眺めている。関心はむしろ、22日に15年ぶりに帰国したタクシン元首相(74)に集まっている。タイ貢献党は、タクシンがつくり、一時は圧倒的な支持を集めたタイ愛国党の後継政党なのだ。タクシンはいまも、タイ貢献党に対して絶大な影響力をもっているといわれる。タイの貢献党支持者も歓迎ムードだ。貿易会社の経理で働くSさん(45)も、「これでまたタクシンの時代がくる。タイの経済は上向く」と語る。
日本には6万人近いタイ人が暮らしている。その半数以上は永住者、定住者などで、その多くがタクシン支持派だ。海外のタクシン派の一大拠点である。彼らの反応もタイのタクシン支持派と大差はない。
「はじめて貧しい農村に目を向けてくれた政治家」
時代は30年ほど遡る。当時、日本には多くの不法就労のタイ人がいた。仕事場は工場や工事現場、そして夜の仕事。その数は20万人を超えていたともいわれる。
東京都下でスナックを経営するタイ人女性のJさん(59)もそのひとり。熱狂的なタクシン支持者でもある。タクシン派は赤シャツ派とも呼ばれ、Jさんは一時、日本赤シャツ派の幹部も務めていた。
Jさんはイサーンと呼ばれる東北タイのローエイ県の出身。送り出し組織に騙され、日本にやってきた。待っていたのは200万円の借金と、性風俗店の仕事。自殺も考えたというが、歯をくいしばった。2年で借金を返し、スナックのチーママになった。
日本にやってきたのは貧しい実家を支えるためだった。Jさんの仕送りが親や子供を助けた。長男は東北タイの名門、コンケーン大学に入学した。Jさんのいちばんの誇りだ。
「タクシンは、はじめて貧しい農村に目を向けてくれた政治家。病気になっても安く治療が受けられる。米も高値で政府が買ってくれる。融資も受けやすくなって、それで実家を建て直したんです」
Jさんの仕送り、そしてタクシンが打ち出した東方タイなどの貧しい農村支援策。タイの農村は確実に豊かになった。
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