慶応「丸田湊斗」、先頭打者本塁打の衝撃…たった1度しかない決勝戦での“サヨナラホームラン”を振り返る

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「15歳にやられてたまるか」

 東洋大姫路が4対1のサヨナラ勝ち。これ以上ない劇的な幕切れで優勝した。甲子園大会の決勝でのサヨナラホームランは、この一発しかない。

 スポーツニッポンの2022年の記事によれば、当時を振り返った安井は「見逃せばボール気味の真っすぐを捉えると、一塁を回ったところで線審がグルグルと手を回しているのを確認した。一塁を空過しかけて、慌てて踏みなおした。一日3時間に及ぶノックなど苦しい練習に明け暮れ『もう、明日から野球をしなくていいんだ』と思えた」と回顧している。梅谷監督はその厳しい練習で有名だった。

 この試合、安井は1回の無死満塁と3回の無死一・三塁の好機で凡退し、ベンチの梅谷監督が「あんな投手が打てんのか」と怒ったという。その悔しさ、そして前打者の敬遠、「15歳にやられてたまるか」。主将安井のすべての思いがバットに乗り移っていた。

 この年の秋、松本はドラフト1位で阪急ブレーブスに入団した。同じ年のドラフトでは、後に巨人への入団を巡り騒動を起こす江川卓(法政大)がクラウンライターズから1位指名されていた。変則ウェーバー制(指名順予備抽選)の全体1位も江川で、2位は巨人の捕手として活躍した山倉和博(早稲田大)、3位が松本だった。

 松本は1年目こそ一軍で活躍したが 、その後は故障に悩まされるなど1勝しただけで1987年に引退した。その後、球団職員として阪急ブレーブズに残り、ブレーブズの後身となるオリックス・バッファローズの用具係としてイチローの用具も担当した。現在も重責を担っている。

安井に脅迫めいた手紙も

 さて、殊勲打の安井はプロへは行かず、明治大学に進学した。卒業後は野球用具製造の名門のSSK(本社・大阪府大阪市)に就職し、現在も重役として奮戦している 。ともに大好きな野球から離れずに生きていることは嬉しい。

 私学の東洋大姫路は、優勝当時は男子校だったが、後に男女共学となる。進学などにも力を入れたせいか、野球部は一時期、弱くなったが、層の厚い兵庫大会でも今年はベスト16まで勝ち上がるなど力を見せている。

 一方、敗れた東邦の坂本。当時の朝日新聞の社会面は、殊勲の安井ではなく「笑顔さわやかバンビ君」の記事だった。敗れたバンビ坂本は悲劇のヒーローとなり、勝った松本には脅迫めいた手紙まで来ていたという。

 高校卒業後は法政大学に進学し、日本鋼管に就職した坂本だが、大学や社会人ではあまり活躍できず、その後、別会社に就職。現在は時折、NHKの高校野球解説にも登場し、100回記念大会では「レジェンド始球式」に登場して話題になった。

 今大会で誕生したスターたちの今後の活躍にも注目だ。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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