慶応「丸田湊斗」、先頭打者本塁打の衝撃…たった1度しかない決勝戦での“サヨナラホームラン”を振り返る

スポーツ 野球

  • ブックマーク

 酷暑の夏の甲子園大会は、8月23日、仙台育英(宮城)を破った慶応(神奈川)の107年ぶりの優勝で幕を閉じた。前回の優勝は1916(大正5)年の第2回大会で、ロシア革命の前年だ。今大会、近畿勢は7年ぶりにベスト8に1校も残れず、逆に東北勢の活躍が光った。そうした中、思い出されるのは、1977年大会の決勝での「サヨナラホームラン」だ。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

46年前の「サヨナラホームラン」

 慶応のトップバッター・丸田湊斗は試合開始直後にホームランを放ったが、夏の決勝での「先頭打者ホームラン」は史上初だった。決勝での「サヨナラホームラン」も、たった1回しか記録されてないことをご存じだろうか。

 46年前の1977(昭和52)年8月20日、第59回全国高等学校野球選手権大会の決勝で兵庫代表の東洋大姫路が成し遂げた。当時、学生だった筆者は、この試合を友人とライトスタンドで見守っていた(当時の外野席は無料だった)。

 東洋大姫路のエースは松本正志 。左腕からの剛球がうなりを上げ、「江夏二世」と呼ばれていた。2年生の春の甲子園にも登板し、チームをベスト4に導いている。3年生の夏の甲子園では準決勝までで3試合を完封していた。

 一方で決勝の対戦投手・東邦(愛知)の坂本佳一は軟投型の1年生。細身で甘いマスクで首が長いため、大会終了後は「バンビ」という愛称で呼ばれ、大フィーバーを巻き起こした。

 後年(2006年)のマー君(田中将大=駒大苫小牧[北海道])とハンカチ王子(斎藤佑樹=早稲田実業[西東京])の対戦のような白熱ぶりだった。

次ページ:名将の一言

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。