清原和博氏が夏の甲子園で放った本塁打「ベスト3」 1位は試合後、「勝負してくれると思うと嬉しくて、闘志をかき立てられた」と語った140メートル特大弾

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1位:第67回(1985年)・準々決勝の第3打席

 相手は四国の剛腕・中山裕章(元・中日など)を擁する高知商(高知)だ。高知商は夏の県大会決勝で春のセンバツ優勝校・伊野商を降し、第67回でも優勝候補の一角に名を連ねていた。

 清原がその強敵と対戦するまでに放ったヒットは、勝負を避けられた試合もあり、2試合でわずか2本。打点は1、本塁打は0だった。中山はそんな清原を不調とみたのか、140キロ後半の速球を武器に勝負を挑み1打席目は四球、2打席目は三ゴロに打ち取った。

 そして迎えた5回裏の第3打席、清原は2球目の直球を迷わず一振した。すると打球は、3メートルの逆風を衝いてレフトスタンド中段に突き刺さる、推定140メートルの特大弾となったのだ。

 文句なしの一発だと確信した清原は、打球の行方をまったく追わずに一塁ベースを回ったところでガッツポーズをみせた。また試合後には「初球は手も出せないほど速かったけど、勝負してくれると思うと嬉しくて、闘志をかき立てられた」と語った。

 この特大弾につられたのか、1死後には盟友の桑田がライトラッキーゾーンへ運び、夏の甲子園では初の「KKアベック弾」も記録している。春のセンバツでは第56回(1984年)の1回戦で記録しているが、同一イニングでの達成ではなかったのだ。

次点:第65回・決勝戦の第1打席

 この大会での優勝候補の大本命は、史上初の「夏春夏」3連覇を目指す池田(徳島)だった。「やまびこ打線」と呼ばれる超強力打線に加え、超高校級の本格派右腕・水野雄仁(元・読売)を擁する難敵である。

 PLは準決勝で池田と対戦し、桑田の大会2発目となる2ランなど3本塁打を水野に浴びせた。守っては桑田がわずか5安打に抑え、7-0で完勝した。ただし、清原は4打席連続三振に終わっていた。

 そのため、清原にとって決勝戦は雪辱を果たす 場でもあった。対戦相手は横浜商(神奈川)だ。エースの三浦将明(元・中日)は縦に割れる大きなカーブを武器としていたが、同年の春のセンバツ決勝で池田に0-3で屈したため、「打倒・池田」の策として新たにフォークボールをマスターしていた。

 対する清原は、そのフォークボールが高めにすっぽ抜けるところを見逃していなかった。2回裏の第1打席、カウント2-2から1球ファウルで粘ったあとの6球目を流し打ちして、先制のソロを放ったのである。これが清原の記念すべき「甲子園初本塁打」だ。この一発で試合の流れをつかんだPLは3-0で勝利した。

上杉純也

デイリー新潮編集部

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