清原和博氏が夏の甲子園で放った本塁打「ベスト3」 1位は試合後、「勝負してくれると思うと嬉しくて、闘志をかき立てられた」と語った140メートル特大弾
今年の夏の甲子園は第105回。40年前の第65回(1983年)に現れた2人の「怪物1年生」を、リアルタイムで観ていた人はどれくらいいるだろうか。その2人とは、PL学園(大阪)の「KKコンビ」こと桑田真澄氏と清原和博氏。清原氏はPL学園に入学した早々から4番を任され、いまだ破られていない「甲子園春夏通算13本塁打」の記録を打ち立てた。
今年の決勝戦には、そんな清原氏の次男・勝児内野手がベンチ入りする慶應義塾(神奈川)が進出し、聖地は沸きに沸いている。ここまでの勝児内野手は快音を響かせていないが、親譲りの勝負強さで「甲子園親子本塁打」の達成となるだろうか。そこで今回は、清原氏が夏の甲子園で放った本塁打から「ベスト3」を選んでみた。
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3位:第66回(1984年)・1回戦の6打席目
1回戦で激突した享栄(愛知)を相手に、当時2年生だった清原の打棒がいきなり爆発した。第1打席の右前打に始まり、右越え本塁打、四球、左越え本塁打、死球と5打席連続出塁、3打数3安打の大活躍だ。チームも清原に引っ張られ、8回表を終わって12-0と大量リードを奪った。
しかし、8回裏の守備で一塁を守っていた清原は、緩慢な動きで一塁線の当たりを取れず三塁打にしてしまう。完封を狙っていた桑田が1失点を喫したため、清原は8回裏を終えたベンチで桑田に謝罪した。そこで「もう1本打ったら許したる」と言われ、9回表の第6打席を迎えることになった。
劇的瞬間は二死三塁、享栄の二番手投手・稲葉太が2球目を投じたときに訪れた。清原が外角寄りのカーブを逃さずバットを振り抜くと、打球は滞空時間の長いアーチとなって左中間スタンドへ飛び込んだのだ。同時に、春夏の甲子園を通じて初となる「1試合3本塁打」の大記録が達成された瞬間でもあった。
しかも、四球と死球を挟んでいるものの「3打数連続本塁打」でもあり、これも春夏の甲子園通じて初の快挙だった。完封を帳消しにしたお詫びとして、狙った本塁打を簡単に打つあたり、まさに「怪物」の面目躍如だろう。
2位:第67回(1985年)・決勝戦の第3打席
相手は3回戦から3試合連続で接戦をモノにしてきた宇部商(山口)。前評判は高くなかったが、破壊力ある打線は脅威だった。その核となっていたのが、1大会の個人最多記録となる4本塁打をマークしていた藤井進(2017年に死去)である。対する清原は3本塁打で、1本差の争いだった。
試合は宇部商が2回表に1点を先制。PL打線を3回まで2安打に抑え込んでいたのは、背番号11の右腕・古谷友宏だった。しかし4回裏、第2打席を迎えた清原が逆風を衝いてレフトラッキーゾーンに放り込み、藤井と並ぶ大会4本塁打をマークした。
1-1の同点となった後は、5回裏と6回表に点を取り合い、6回裏はPLが1点リードを許した2-3で迎える。清原は1死無走者で回ってきた第3打席で、古谷が不用意に投げた真ん中高めの直球を捉えた。すると打球は、ライバル・藤井が守るセンター頭上を遥かに越え、スタンドへと消えていったのである。
2打席連発で一気に藤井を抜き去り、単独トップに立った大会5号は「1大会における個人の最多本塁打記録」という大偉業でもあった。そしてこの瞬間をより名場面にしたのが、植草貞夫アナウンサー(元・朝日放送)による名実況だ。
「藤井は見上げているだけだぁ~~。ホームランかぁ、ホームランだぁ! 怖ろしい! 甲子園は清原のためにあるのかぁ~~!」
この劇的な一発で試合を振り出しに戻したPLは、3-3の同点で迎えた9回裏にキャプテンで3番の松山秀明(元・オリックス)が放ったサヨナラタイムリーで熱戦に決着をつけた。
夏の甲子園での「1大会の個人5本塁打」の記録は、第99回(2017年)で広陵の中村奨成(広島カープ)が6本に塗り替えた。だが、「春夏の甲子園で通算13本」は現在も2位以下に7本の大差をつける圧倒的1位。紛れもない大記録だ。
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