人気作家は複数パターンでどんどん本を出してほしい 全ての本はファンブック?(古市憲寿)

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 村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』の愛蔵版が刊行されるという。著者直筆サインとシリアル番号入り、職人による手製本でお値段10万円(税別)。新潮社の本らしからぬおしゃれさで、春樹ファンはうれしいだろう。

 本の愛蔵版はもっと増えていいと思う。

 音楽CDなどは数パターンを発売するのが常識となっている。ライブ映像、写真集、写真集(別カット)、写真集(さらに別カット)など特典を変えて同じCDを出すわけだ。いつまでも売られ続ける「初回限定盤(A、B、C)」、もはや出荷数が少なそうな「通常盤」、送料も結構高い「ファンクラブ限定盤」といった具合である。

 ファンも喜んでいる。もともと「自分用」「保管用」「布教用」などの名目で何枚も買う人もいる。特典が違った方が買うかいもあるだろう。

「音楽鑑賞」という行為を考えればスマホで十分だ。パソコンからもディスクドライブが消えつつある今、CDを再生する環境がない人も増えている。僕もたまにCDを買うが、聞くことはまずない。あくまでもグッズとして手元に置きたいだけだ。

 書籍にも同じような需要があるはずだ。そもそも、同一商品を複数バリエーションで売るのは書籍の得意技だった。

 1956年に発売された三島由紀夫の『金閣寺』は、通常版280円に対して、限定版は2500円。200部限定で発売された。『街とその不確かな壁』と一緒でサインとシリアル番号入り。三島は「成金趣味の金ピカ本」と自虐気味に喜んでいたという。その後も『金閣寺』は、文庫版や新装版、全集の一部として何度も形を変えて発売されている。

 全ての本はファンブックだという説がある。果たして僕たちは完全に著者を切り離して本を読むことができるか。もちろん知らない著者の本を読むことはある。特に翻訳された海外ノンフィクションなどはそうだ。だがその場合も行間からにじみ出る「著者らしさ」を意識して本を読んでいないか。

 特に三島由紀夫など、あのマッチョを目指した風貌や、壮絶な最期を切り離して読むことは難しい。言い換えれば、現代人にもまだその記憶があるから、三島は読み継がれているのではないか。

 どんな人気作家も死後は驚くほど読まれなくなる(実際は生きているのに読まれなくなる作家の方が多いと思うけど)。『青春の蹉跌』が250万部超のベストセラーとなった石川達三の名前もあまり聞かなくなった。

 人気作家はどんどん複数パターンで本を出していけばいいと思う。サイン入り豪華愛蔵版、執筆風景を記録した写真集付き初回版A、朗読音声の入った音源付き初回版B、Tシャツ付き初回版C、通常版にも栞やシールを封入していい。

 さすがに「50冊買うと著者からの手紙」「100冊でお茶会」「200冊でデート」とかまですると地下アイドルと間違われそうだからやめておきましょうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年8月17・24日号掲載

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