優勝マジック点灯の岡田阪神 “矢野遺産”が終盤戦の切り札になるか
野村、矢野…歴代監督の系譜
梅野のケガで出場機会を掴んだ坂本は、前任の矢野氏が起用にこだわった捕手である。
「矢野氏は16年に作戦兼バッテリーコーチに就任し、同年のルーキーが坂本でした。ベテランの能見篤史氏(44)が投げるときは坂本を起用し、『なんとかしてやってくれ』と頼んでいました」(前出・同)
当時を知る関係者たちによれば、捕手としてこれといった特徴のない坂本を「なんとかする」のは、「並大抵のことではなかった」そうだ。梅野は打撃力もあり、配球ではベテランの岡崎太一(40)に一日の長があった。それでも矢野氏が「頼む」と言い続けたのは、味方投手に対する献身的な姿勢があったからだという。
「捕球技術、盗塁阻止率、配球。捕手に求められるものは、投手を助けるためのものであって、その全てをそつなくこなすのが坂本と捉えていました。どれか一つが突出していてもダメ、というのが矢野氏の考えでした」(前出・同)
「味方投手を勝たせたい」という坂本の姿勢がトラ投手陣にも認められ、矢野政権で開花した。もっと言えば、「味方投手を」の身持ちを捕手・矢野に叩き込んだのは、彼を正捕手に見出した99年当時の監督・野村克也氏だろう。岡田監督が正捕手の梅野を欠いても動じなかったのは、“矢野遺産”とも言える坂本の力量を認めていたからではないだろうか。
「試合前、バッテリーミーティングがあります。坂本は持論を押し付けるのではなく、先発投手の前回登板の内容も踏まえて、『こんなふうに変えてみたら?』と提案してきます。捕手にもいろいろなタイプがいて、オレについて来いのリードをする捕手もいますが、坂本は相談して決めます。試合中、投手が弱気になると、一変して強気のリードも見せますが」(前出・在阪メディア)
味方投手に勝ちをつけたいと考える坂本に、大事な終盤戦が託された。岡田阪神の勢いは止まらない。
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