親切そうに「例の件、評判悪いよ」と囁いてくる先輩を警戒しなければいけない理由
ハラスメントに対して厳しくなり、また働き方改革などで労働環境も改善されているとはいえ、職場でのストレスが激減したという話は聞こえてこない。悩みの多くは人間関係によるものだからだ。
コンサルタントとして人材育成などを手がけている山本直人氏によれば、人事関係の仕事をしている関係者の中では、「仕事の悩みの8割は人間関係」という説があるのだという。そしてさらにその悩みの原因を見ていくと、「言葉のやり取り」であることが多いのだ、と。
山本氏は新著『聞いてはいけない―スルーしていい職場言葉―』の中で、こう述べている。
「本当は無視してもいいような言葉に影響されたり、流行り言葉に振り回されたりして消耗してしまう。そういうことをできる限り減らしていくためにも、言葉との付き合い方について、いま一度考える必要があるのではないでしょうか」
数多くの「スルーしていい職場言葉」を取り上げている同書から、今回は、一見親切そうな忠告の言葉を取り上げてみよう(以下、『聞いてはいけない』から抜粋・再構成)
「大人の言葉」の難しさ
学生が社会人になってしばらくすると、「あまり聞かなかった言い回し」を耳にするようになります。いわゆる「業界用語」などもそうですが、普通の日本語のようなのに、意味の幅が妙に広いこともあったりします。
たとえば仕事の段取りを打ち合わせたあとで、先輩がこんな風に言ったとします。
「まあ、その辺りはよろしくやってくださいな」
すべて知っている言葉のはずなんだけど、じゃあ実際どうすればいいの? と戸惑うのではないでしょうか。この仕事は「あなたに任せますよ」と言っているのでしょうか。ところが人によっては、「まあ、適当にやっておいてもいい」というニュアンスだったりします。
とはいえ、「じゃあ実際どうするんですか?」と、聞くわけにもいかないでしょう。社会人というのはこうした大人の言葉を少しずつ学んでいくのだと思います。
この辺りのちょっと謎の言葉は揶揄の対象になったりしますが、もうちょっとニュアンスが複雑で戸惑ってしまうものもあります。
私自身が若い頃に経験した中ではこんなことがあります。指示された仕事をまとめて持っていくと、時折「う~ん、これは難しいテーマだったね」と言われる。その時には、文字通りに「これは難しいんだな」と思っていたのですが、実は違っていました。これは私のやった仕事の「できが良くない」ということを遠回しに言っていたのです。何回か同じようなことがあって、ようやく気づきました。
こういう時に、「これはダメだね」とストレートに言わずに、「テーマが難しいね」と言うことで、若い社員をことさらに傷つけないように配慮していたのでしょう。
このように、人はいろいろな表現で何かを伝えようとしています。そして、時には言葉によって人の気持ちをコントロールしようとする人もいるのです。まだ経験の少ない若い人ほど、先輩の言葉によって安心することもあれば、不安になることも多いでしょう。
「例の件だけど、評判悪いよ」
そういう言葉の中で、一番タチが悪いなと思っている言葉があります。こんな感じの言い方です。
「おまえ、例の件だけど、評判悪いよ」
なんだか、言われたら「すごく嫌~な感じ」がしませんか? 自分が関わっている仕事をその人が批判しているということは、まあ理解できます。しかし、それにしても、どこか気持ちがザワザワしてしまうようです。では、その「嫌~な感じ」の正体は何なのでしょうか?
それは、「自分の言葉で批判していない」こと。これに尽きるのです。
「おまえ、例の件は、あまり感心しないなあ」
こう言われれば、もちろんドキッとするでしょうが、まだわかりやすい。ショックを受けるかもしれないけれど、「え? どうしてですか?」と訊ねる気になるかもしれません。
それに対して「評判悪いよ」というような言葉遣いをする人は、本当に狡猾だと思います。意図的なのか、それとも無意識なのかはわからない。でも、いずれにしても気をつけた方がいいでしょう。
なぜなら、その人は相当に「世論操作に長(た)けた人」だからです。
見えない多数派を人は気にする
人と人とが普通に会話していて、自分の考えを述べる状況を想像してみてください。
その時に、人は本当に自分で考えた意見を述べているのでしょうか?
「あのお店のコーヒー、とてもおいしいよ」
「そうだね。僕はもう少し豆を浅く煎った方がいいと思うし、蒸らし方も足りないと思うけれど、価格と居心地を考えればいい店だよね」
こんな風に細かに意見を述べる人は、少数派だと思います。
「そうそう、いつ行っても混んでるよね」
「たしかに、評判聞きますよね」
というように、まずは軽い返し方をすることもあるでしょう。
また、会議で意見を求められたときのことを考えてみてください。こんな風に発言する人を見かけることはありませんか?
「はい、先ほど○○さんも言われていましたが、やはりA案がバランスが取れているように思います」
先ほどのコーヒーについてのケースを見てもらうとわかりますが、人は「自分の意見をきちんと述べる」とは限りません。
「混んでるよね」ということは、間接的に賛意を示しています。「評判聞きますよね」というのも同じです。
会議の発言だって、まず他の人の意見を引用することで、「これでいいですよね」という感覚を共有しています。
人に対して自分の意見を言うのではなくて、他者の意見を引用しているのです。
考えてみれば、身の回りのことすべてに自分の基準で意見を持ち続けることは、結構骨が折れるかもしれません。
何名かでランチに行った時に、最初の人が「オレはBランチ」と言ったとたんに、みんなが「私もそれで」「僕も同じで」と言い始める光景を目にすることがあります。
これを「同調圧力」という人もいますが、それほど大げさなモノとは考えなくてもいいでしょう。むしろ「いろいろなことをすべて自分で考えて決めるのは面倒くさい」という人が、世の中では多数派だと思えばいいのではないでしょうか?
人は自分で考えて決断することは困難で、周囲の状況を参考にする。
「評判悪いよ」と言う人は、そうした人間の心理をよくわかっているのでしょう。
言われた方は「見えない影」に怯えます。きっと「評判が悪い」理由を懸命に考えることでしょう。
そして、その理由を訊ねればどうなるでしょうか?
そもそも自分が気に入らないことを「評判悪いよ」と言い換えているような人です。単に、自分の考えを「周囲の人の声」として言うことでしょう。
まさに狡猾だと思いませんか?
狡猾な人は創造できない
このような人は、さまざまなところにいます。会社だけではありません。
「あなたのことを、こんな風に言ってたよ」と嘘を吹き込むような人に振り回される話は、あちらこちらで聞きます。
このような人は、そこそこにアタマが回るのでしょうが、何かが図抜けてできるようには思えません。会社でも、そこそこはやっているけれど、あまり出世はしないでしょう。
ストレートに自分の意見を言わずに、人のせいにしながら自分に都合のいいようにものごとを進めようとする。それはおそらく、自分が生き残っていくための本能的な知恵なのでしょう。
イメージとしては、寓話に出てくるずる賢いキツネでしょうか。決して勇猛なライオンではありません。
そして、仕事においても何か新しいことを創造するようなことはまずできないでしょう。常に自分と周囲の関係だけを考えているような人が、仕事そのものを大切にするとは思えないのです。
しかも困ったことに、自分よりも弱い立場の人に対して力を使おうとします。そのため、こうした人の言葉に悩むことになるのは、おおかた若い人だったりするのです。
まさにダークサイドの存在です。
こういう人と仕事で接することになったら、あらゆる方法でできる限り距離を取ることが第一です。素性が見えれば、過度に気にする必要もありません。ちゃんとした組織であれば、淘汰されていくような人なのです。
ただし、そんな人ばかりがいるような職場だったら、別の道を考えるべきだとは思いますが。組織全体がダークサイドに属しているのですから。
周りの声をプラスにできる人も
ちょっと視点は変わりますが、「周囲の人の声」をうまく使うことは、マーケティングの世界でもよくおこなわれています。
「売れてます!」のようなコピーは、よく見ることでしょう。こういう表現では、「この商品が優れている」ということは二の次です。それよりも「みんながどう思ってどう動いているか」ということをアピールしているわけです。
まさに「周囲の人の声」を活かしているのですが、メッセージは「評判いいよ」ということです。つまり、狡猾な人とは逆の発想になっているのです。
そして、組織の中でも、そうした表現を巧みに使う人がいます。
優れた仕事をした部下に対して、直接「これは良い」と評価することはもちろんですが、「○○が感心してたよ」といえば、さらに自信がつくはずです。「あの人も見てくれているのか」と思えば、若い社員の士気もあがるでしょう。
そして、こういう誉め上手の人は「評判悪いよ」という人とは好対照です。ダークサイドの対極にいるのですから、こうした人は自然に「いい言葉」を発しているのです。
そもそも部下を評価する時に自分自身の独善にならないように、周囲にヒヤリングしているからこそ、隠れた評判を聞きだしたのでしょう。いわゆる「ムードメーカー」と呼ばれたり、周囲に人が自然と集まってくる人はこうした視野の広さを持っています。
若い人への言葉には、その人の仕事ぶりやキャラクターが自然に表れます。まずは狡猾な言葉を発する人からは、距離を置いたほうがいいでしょう。
※『聞いてはいけない―スルーしていい職場言葉―』(新潮新書)から一部を抜粋、再構成。