「池袋暴走事故」から5回目のお盆 妻子を亡くした“松永拓也さん”が明かす「遺族」として生きることのジレンマ

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「自分は、冷たく薄情な人間なんじゃないか」

 事故が世間から忘れ去られ、風化してしまうのは食い止めたい。そのために松永さんはX(旧Twitter)等のSNSで啓蒙活動を続け、全国で講演を行っている。事故が人々の記憶から消し去られてしまうと、危機意識が低下してまた同じような事故が発生し、同じように苦しむ遺族が生れるからだ。しかし一方で、松永さんの内面では、2人に対する感じ方が以前ほど鮮明ではなく、徐々に薄れていくという事実に、戸惑いを隠せなかった。

「節目節目の思い出とか2人に対する愛情は忘れないんですけど、声とか細かい感覚が曖昧になって、それが悲しくなる時があります。あれだけ一緒に生きて、愛してきたのに思い出せない自分は、冷たく薄情な人間なんじゃないかと。でも多くの人が体感するみたいで、ある意味、人間の機能なのかもしれません」

 世間からの声にも、心がざわついた。

 松永さんのXアカウントのフォロワー数は15万を超える。投稿をするたびに様々なリプライが寄せられるが、事故から3年ほどが経過した頃から、その中に必ずといっていいほど「早く新しい人を見つけて幸せになってください」といった声が含まれていた。
   
 松永さんが、言葉を慎重に選びながら語る。

「善意で言ってくれているのは分かります。幸せになってほしいと願う愛だとも感じています。ですが、言い方が悪いかもしれませんが、僕にとっては『いつまでぐずぐず引きずっているのでしょう。早く忘れて別の女性と出会ったほうがいいのでは?』と問い掛けられているような気がしてしまうのです。そういうのはご縁だからとは思いますが、今は特に求めていません」

「2人の命を無駄にしないように行動している」

 事故で妻子を失った松永さんは、悲嘆に暮れた毎日を送っているに違いない。そんな「遺族像」が一人歩きしてしまった結果、世間からの一部の声に反映されてしまう。松永さんがメディアの前で流す涙が、固定観念を植え付けるのは分かっていても、事故という現実を伝えるためにはやむを得ず、それがジレンマにもつながるという難しい立場に悩まされてきた。

「確かに事故そのものは不幸な出来事だし、真菜と莉子に会えないのは辛いです。僕の中での人生のベストは失いましたが、今まで色々な人に出会い、助けられ、応援してくれ、そういう意味では幸せも感じています。僕は2人の命を無駄にしないように行動している。それ自体が幸せなんです」

 松永さんはSNSなどで啓蒙活動を展開するかたわら、事故防止に向けた法整備を実現させるため、関係省庁にはたらきかけるなどの取り組みを続けている。

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。昨年3月下旬から2ヵ月弱、ウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部

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