「池袋暴走事故」から5回目のお盆 妻子を亡くした“松永拓也さん”が明かす「遺族」として生きることのジレンマ

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 今年のお盆は2人が夢に出てきてくれるだろうか――。
 
 8月14日午後3時過ぎ。

 都内の墓園は、うだるような暑さの中、蝉時雨が響き渡っていた。

 黒光りした墓石を丁寧に雑巾で水拭きした後、松永拓也さん(36)はしゃがみ込んで線香に火をつけた。目を閉じて手を合わせ、妻の真菜さん(当時31)と莉子ちゃん(同3)に祈りを捧げた。その間約1分。

「愛しているよ。そしてありがとう。2人は手を繋いで仲良く暮らしているのかな。今は2人ともそばにいてくれているのかな」

 松永さんは心の中で、そう語りかけていた。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】

 ***

 2019年4月に池袋暴走事故が発生して以来、お盆になると松永さんは自宅で迎え火を焚くのが恒例行事になった。最初の年と翌20年は、その日の夜に2人が夢に出てきてくれた。松永さんのスマホのノートには、20年の迎え火の晩に見た夢の記憶が綴られている。

<まな 夢でリコと語ってた
 二階で外見ながらじーじ(真菜さんの父)んちはいい家だね
 出産の辛さと最初の育児の大変さ語ったあと、
 今思えばたいしたことなかった、と言っていた
 俺への感謝を言ってた
 他にも何か色々と言ってたけど思い出せない>(原文ママ)

 その翌21年からは2人の夢を見ていない。果たして今年は……。

「うーん、見なかったですね」

 松永さんは残念そうな表情を浮かべ、こう言葉を継いだ。

「まあ便りがないのが良い便りって言うから、天国で元気にやっている証拠かなって。できれば夢に出てきてくれると嬉しいんですけど、なかなかそうもいかないのが現実なので。でも夢で会えたら、それはそれで辛いんですけどね。目が覚めた時に」

「彼女の生き方や人柄が僕の道標だった」

 2人が現実の世界にいないことに気づくと、わかってはいてもやはり胸が締め付けられる。

「真菜と出会った時とか、結婚した時、莉子を産んでくれた時は、まさかこんなに早くお墓に入って、毎年お盆に迎え火、送り火を焚くなんて想像もしていませんでした。事故さえ起きなければ、2人はこんなところにいないんです」

 そう言って松永さんは、2人が眠る地面を指差した。

 墓石の周りには、色鮮やかな花々が咲いている。松永さんの母が定期的に、真菜さんのことを思って手入れしているのだという。花が大好きだった真菜さんは、道端に咲く可憐な花を見つけるとしゃがみ込んで「きれい!」と口にするような女性だった。

「そういう彼女の心が綺麗だなと思って。僕なんて道端に咲いている花に目もくれたことがありませんでした。自分と真逆の、そんな彼女の生き方や人柄が僕の道標だったんです。事故以来、彼女だったらどうするかを常に考えながら生きてきました」

 莉子ちゃんには、仕事から帰宅してからよく絵本を読み聞かせた。莉子ちゃんが3歳になって成長すると、松永さんはベッドから降り、床で寝るようになった。すると毎朝、目覚めた莉子ちゃんから「お父さんいる?」と大きな声で尋ねられ、「いるよ!」と答えると、布団に入ってきた。

「今からそっちに行くねって言ってくる莉子がホントに可愛くてね」
 
 そうした家族の思い出は記憶にはっきり残っていても、事故から年月が経つにつれ、松永さんの中では莉子ちゃんの声がふとした瞬間に思い出せなくなっていた。父親だった当時の感覚もおぼろげになりつつある。

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