かに道楽の知られざるCMソング秘話 「とれとれピチピチ」の意外なルーツとは
「やるなら目立て」が生んだ看板とCMソング
千石船食堂はついに、かにを食べる文化を大阪にもたらした。そうして1962年に「かに道楽」がオープンする。「動く看板」はその時からのものだそうだ。
「芳雄は、幼い頃から兄の文治郎氏に教わりながら魚の行商をしてまして、リアカーを押しながら大量の魚を盛って売り歩いていました。その時に“やるなら目立て”という考えが身についたそうです。『かに道楽』のオープン時、人目を引く巨大な動くかにの看板を取り付け、これが人気を得ました」
開店から6年後の1968年、今度は西心斎橋のアメリカ村に『かにの網元』を出店させる。その時の宣伝広告用に制作されたのが、冒頭で紹介したCMソングだ。関西人に向かって「♪と~れとっれ~」と歌い出せば、必ず「ぴっちぴっちかに料理ぃ~」と応える。その歌のルーツもまた芳雄氏だった。黙って行商したところで、誰も気にとめてはくれない。だから芳雄氏は「とれとれ、ぴちぴちやで~」と言いながら売り歩いた。これぞ、耳に残るCMソングの源流となったフレーズだ。では、作曲は?
「浪速のモーツァルトことキダタローさんです。キダさんは“これまで何千曲と作曲させていただきましたけど、僕が手がけたCMソングの中で一番短時間でできた曲なんです”とおっしゃっていました」
御年92のキダタローさん。彼だったか。
「作詞は『ふるさとのはなしをしよう』の作詞家である伊野上のぼるさん。約2分間の曲は、昭和の歌謡曲のように耳なじみのよい構成になっているのが特長です。歌い手は、1960年代に人気を博したNHKのバラエティ番組『夢であいましょう』などでも活躍したデューク・エイセスです。ドリフターズの『いい湯だな』を歌うコーラスグループといえば、知らない人はいないのではないでしょうか」
“大阪でかにを”の思いで63年
かくて現在まで55年間、人々が口ずさみ続けるCMソングになった。もちろん、本業の好調あってこそである。
「私たちは、かにすきでスタートしました。秘伝出汁を開発して人気に火がついて、大阪でかにを食べる文化が根付いたんです。今でこそスタンダードになりましたが、当初得体が知れないものと見られていたかにを根付かせたのは、煮詰めても辛くならない秘伝の出汁のおかげです。かにを入れると出汁が一層おいしくなりますし、出汁に入れて食べるかにはかにの味が引き立ちます。創業者の“大阪でかにを食べてもらいたい”という熱い思いが、出汁と一緒に今日まで63年受け継がれているわけです」
始まりは行商だったことを思えば、大躍進だ。
「現在は全41店舗まで拡大しました。道頓堀、次に京都と、もちろん長い時間かけての41店舗です。店舗が大きく増え始めたのは2008年から。都市部の店舗は訪日旅行者で大幅に来客数が伸び、一方でロードサイドの郊外店を増やしたことで、かには“わざわざ食べに行く”のではなく、日常的に“今日はかに食べに行く?”っていう感じが普通のことになってきた。そんなきっかけをつくることができたのではないでしょうか。かにをもっと身近に感じてもらえるよう、創業者の精神を受け継いでいきたいと思っています」