【どうする家康】本能寺の変のあと「信長」の子息たちがたどった悲惨すぎる運命
天正10年(1582)6月2日に勃発した本能寺の変は、たしかに明智光秀による織田信長への謀反だったが、その後の政局にあたえた影響の大きさでいえば、信長が討たれたこと以上に、嫡男の信忠の命が奪われたことのほうが大きかったと思われる。
信長はすでに天正3年(1575)11月28日、織田家の家督を信忠に譲っていた。だから、信忠が生きながらえていれば織田政権は維持され、羽柴秀吉が天下をとることもなかったかもしれない。だが、そうはいかなかった。
NHK大河ドラマ「どうする家康」の第28回「本能寺の変」(7月23日放送)でも描かれたが、信長(岡田准一)が討たれたとき、徳川家康(松本潤)は堺(大阪府堺市)に滞在していた。...