藤井七冠が佐々木七段に敗れる 対局直後、悔しさの中で見せた「藤井流」の振る舞い

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記者たちが入る前に感想戦

 藤井は「1日目から長考を重ねるような感じになったが、2日目は配置の悪さに苦労する展開になってしまった」と述べ、封じ手については「『5五飛車』では飛車を(『3九』の銀を取って)切る手も考えたが、駒損なので成算が持てなかった」と振り返った。

 さらに、佐々木が49手目に飛車を捕獲に来た「4五角」については、「打たれてみると飛車が取られた形で厳しかった。見落としていた」と話し、最終盤の「『6一飛車』から『4一銀』の組み合わせに気がついていなかった」と藤井らしからぬ見落としが多かったことを明かした。
 
 藤井はこの夏、防衛した棋聖戦と王位戦の2つのタイトル戦で佐々木と戦っており、いわば年中顔を合わせている。礼儀正しい藤井は年長者にも好かれる性格なので、佐々木からすると藤井に対する親しみも格段に増したことだろう。

 投了直後、別室で待機していた記者やカメラマンが入ってくるのに少し時間がかかった。すると、藤井が自ら佐々木に話し掛けて、一足早く感想戦を始めたのが印象的だった。記者たちが入ってくるまで黙って待っているのが普通だが、そのわずかな間にも自ら相手に語り掛けて感想戦を始めるあたりに、藤井の人柄が垣間見えた。佐々木への親近感もあるのだろうが、敗戦の悔しさを殺しながらも早く気持ちを切り替えたいために敢えてそういうことをする「藤井流」なのかもしれない。

 佐々木は「『6八玉』の相掛かりはやってみたかった形」と研究成果が出たことに手応えを感じた様子で、作戦勝ちを明かした。そして「『4五角』から飛車を取る展開に賭けるしかないと思った」と話した。最後の王手「5三角」については「たまたま思いついた」と打ち明けた。

 ABEMAの解説・中川八段も「佐々木さんも気づいていないかもしれない」としていたが、別の寄せ筋を考えていた佐々木が土壇場で咄嗟に思いついたのが「5三角」だったというわけだ。実はこの手は、中川八段の聞き役の室谷由紀女流三段(30)がいち早く気づいて提案していた。

師匠と同じ「逆転」はあるか

 王位4連覇を狙う藤井は、6日後に始まる第5局に向けて「(第4局は)封じ手前後の組み立てでうまく判断できなかった。課題が多かったので建て直せるように頑張りたい」と語った。佐々木は「なかなかポイントが分からずに終始難しいと思っていた。次局も近いので変わらず開き直って淡々と指したい」と意気込みを見せた。

 佐々木の師匠である深浦康市九段(51)は、2009年の王位戦で木村一基九段(55)の挑戦を受けた。そして、3連敗した後、佐々木と同じ故郷の長崎県で行われた第4局で勝利したのをきっかけに、4連勝して大逆転で防衛している。

 佐々木は恩師と同じ大ドラマを演じることができるか。今回の快勝の勢いに乗って後手番をどう戦うかが楽しみだ。

 一方、今回の対局を待ち望んだのが嬉野市民だった。

 古くから長崎街道の宿場町として知られ、お茶や肥前の陶器などで知られる嬉野市は、数年前から王位戦第4局の対局場となっていた。しかし、一昨年は豪雨のため急遽、大阪に会場が変更され、昨年も藤井への挑戦者だった豊島将之九段(33)がコロナに罹患してしまったため、嬉野大会は中止になった。

 対局前日の前夜祭では、村上大祐市長(41)が「一生懸命に誘致をしていたのですが、コロナや大雨で駄目になっていました。本当に嬉しい」と感激の面持ちで挨拶すると、藤井は「去年の対局は中止になりましたが、その後、ここにお招きいただきました。嬉野市の方々の将棋の熱を感じました」と応じた。華やかなタイトル戦は、地元の人たちの努力で支えられている。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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