【神戸6歳児遺棄、殺人容疑で再逮捕】被害園児の母と主犯弟は“ただならぬ関係” 「指を絡ませながら歩いていた」関係をほのめかす供述も【スクープその後】

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市営住宅も追い出され

 その穂坂家は、かつて同市垂水区の市営住宅に住んでいた時期があった。が、当時からトラブルが絶えなかったという。

「今回はおばあさんが被害者になっていますが、20年以上前、ここにいた頃は間違いなく“加害者”でした」

 そう断じるのは、市営住宅の住民である。

「その頃は長男もいて、下の双子はまだ保育園児でした。父親はおらず生活保護を受けていましたが、母親は夜になると遊びに出かけていた。当時は“アホ”“ボケ”と、お母さんが毎日のように怒鳴っていて、家の前を通ると子どもらのすすり泣く声が聞こえてきたものです。沙喜ちゃんは金属の棒で殴られたりしてあざが目立ち、団地の階段でうずくまっている姿も、よく見かけました」

 生活は荒み切っており、

「穂坂家は3階に住んでいたのですが、ベランダや共用通路にもごみが溢れ出していて、母親は窓から生ごみを投げ捨てるなど無茶苦茶でした。幼い子どもらには、おもちゃ代わりにウサギや小鳥などのペットを与えていましたが、世話は子ども任せで臭いもひどく、刺し傷のあるウサギの死骸がビニール袋に入れられて下の階に落ちてきたこともありました」(同)

 あまりに苦情が多く、一家は団地の別棟への転居を余儀なくされた。が、その後もごみを散乱させるなど変わらずで、しまいには市営住宅からも追い出されていったというのだ。

ホストを好きになり…

 そんな苛酷な環境は、きょうだいの成長にいかなる影響を及ぼしたのか。

「沙喜には軽度の知的障害があり、中学ではなかよし学級、高校は特別支援学校に通っていました」

 とは、沙喜容疑者の20年来の友人。06年に兵庫県で開催された全国障害者スポーツ大会では陸上競技に出場するなど、アクティブな一面もあったというのだが、

「“お母さんは怒鳴るばかりで何もしない。私が家事や妹の世話をやらされる”と漏らしていました。高校の時、足に大きなケロイドがあるのを見つけて“どうしたん”って聞いたら“お母さんのタバコが落ちた”と言っていたけれど、わざと火を押し付けないとあんな傷にはなりません」(同)

 高校卒業後は梱包作業の仕事に就いていたといい、

「その後は三宮のキャバクラやガールズバーに流れていった。そこでホストを好きになって、身ごもったのが修君。出産後は店の仲間からオムツや子ども服、ジュースをもらっていたけど、ジュースは自分で飲んでしまい、服は“ブランド品とちゃう”と捨てたり人にあげたりで、修君には届かなかった。」(同)

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