甲子園史上“最も壮絶な打撃戦”、智弁和歌山が13対12で帝京にサヨナラ勝ち…帝京時代の「杉谷拳士」「中村晃」も熱く燃えた!
杉谷拳士が5番手としてマウンドに
大田に代打を送った結果、「9回裏を誰が投げるか?」という問題があった。そんな苦しい台所の中で、前田監督が4番手に指名したのは、センターを守る勝見亮佑だった。2年生の一時期にエースナンバーを背負ったこともある最速145キロの本格派に、「何とか1回ぐらいは抑えてくれるだろう」と抑え役を託したのだ。
だが、勝見はストライクが入らず、連続四球のあと、「(9回に)打たれたのは、(捕手の)僕がしっかりしていなかったから。甘い球が来たら、とにかくフルスイングする」とひと振りに賭けた4番・橋本良平(元阪神)に執念の3ランを浴び、たちまち1点差。
さらに、次打者にも四球を与えたところで、公式戦では1度も投げたことがない杉谷が精神的な強さを買われ、5番手としてマウンドに上がった。
思いがけず甲子園で投手デビューをはたした杉谷は「今、カメラが全部オレのほうを向いてるぜ、みたいな。『甲子園のマウンドに立っているぜ』とか言って。投球練習中にスピードガンもチラチラ見て、『オ~』とか声が出ちゃいました」(『報知高校野球』2023年7月号)とノリノリだった。
直球は130キロ台を計測していたが、捕手から初球に自身の球種にないカーブを要求されたことから、戸惑いつつも頭の中でイメージしながら、「えい、ままよ!」とばかりに投げると、いきなり死球。たった1球でショートに戻されてしまった。
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