「仲よくすれば武器なんかいらない」という鳩山元首相の独自理論をどう見るか 作家・百田尚樹氏の怒りの論考

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「武器なんていらないです」

 8月になると戦争関連の報道やドラマが増えるのはいつものことである。それを見て多くの日本人が平和のありがたさを感じる。

 その平和を維持するためのアプローチにはいろいろな考え方が存在している。かつて日本では一定の支持を得ていたのが「非武装中立論」である。ごく簡単に言ってしまえば「武器なんか持っているから戦争になるのだ。武装しないほうが平和になる」という考え方で、日本社会党は長い間この立場を取っていた。

 もっとも、さすがに世界の現実を見て考えを改めたようで、現在、この主張を声高にしている政治家は極めて少ない。

 そんな中、異彩を放っているのは鳩山由紀夫元首相である。首相在任中に日米同盟の重要性を学習したはずの鳩山氏であるが、最近はまた独自のスタイルを打ち出しているようだ。

 週刊誌「AERA」に掲載された大宮エリー氏との対談で、鳩山元首相は次のように語っている。

「周辺の国と対話で仲よくしてれば、武器なんていらないです。武器を持って守ろうとしたって、ミサイルを撃たれたら勝てないですよ」(「AERA」2023.8.7)

 たしかに対話で仲よくしていれば武器はいらないに違いない。問題は、対話で仲よくできない国や対話が成り立たない国があることでは……と普通は考えそうなのだが、鳩山氏ならではの世界観があるのだろう。

 ウクライナの人が聞いたら激怒しそうな主張ではあるが、ある意味で古典的ともいえるこうした「非武装中立論」的な考えをどう見ればいいのか。

 作家の百田尚樹氏は著書『戦争と平和』の中で、軍隊や軍事力にアレルギー反応を示す人について論じている。ロシアのウクライナ侵攻前に書かれたものであるが、その問題意識は今も古びていないといっていいだろう(以下、同書をもとに再構成しました)。

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軍隊を持てば戦争になるという人たち

 日本には、「軍隊を持てば戦争になる」と言う人がいます。

 自衛隊を軍隊として認めようという発言に対して、「極右だ」「軍国主義だ」と非難する人がいます。ただ、そういう人から見れば、世界の国々のほとんどが「極右国家」であり「軍国主義国家」ということになります。もうパラノイアとしか言いようがありません。

 かつて軍隊というのは自国を防衛するためでなく、他国を侵略するためのものでもありました。しかし現代は、ほとんどの国家が侵略のための軍隊を持っていません。第2次世界大戦後しばらくの間は世界各地で国境紛争があり、侵略のために軍隊が使われましたが、20世紀後半以降、軍事力の恫喝でもって領土を増やしているのは中国だけです(2014年、ロシアのクリミア編入という例もありますが)。

 世界のほとんどの国の軍隊は自国を守るためのものです。しかしいかに軍隊を持っていても、小国では大国に対抗できません。そのために考え出されたのが、「集団安全保障」という概念です。つまり小国一国だけでは大国に抗し得ないが、小国同士が力を合わせて大国に立ち向かおうというものです。

 この精神で生まれたのが北大西洋条約機構(NATO)です。1949年にNATOが設立された時は、加盟国はわずか12ヶ国でしたが、その後、多くの国が加盟し、2017年現在は29ヶ国になっています。NATOは防衛的な軍事同盟で、加盟国の一つがどこかの国に武力攻撃を受けたとすれば、すべての加盟国は、これを自国に対する攻撃とみなして直ちに防衛行動をするというものです。

 たとえば加盟国であるポーランドが非加盟国であるロシアの侵略を受けたとしましょう。すると加盟国であるアメリカ、ドイツ、イギリス、フランスおよび他の加盟国は「集団的自衛権」を発動して、一斉にロシアを攻撃するというものです。歴史上、ポーランドは何度もロシアに蹂躙され占領されてきましたが、NATOがある限り、ロシアはポーランドに簡単に侵攻などはできないでしょう。これは大きな「戦争抑止力」です。

 2015年、トルコが自国領空を飛んだロシア機を撃墜しました。普通なら戦争の危機です。しかもロシア大統領は気の荒いプーチンです。強大なロシアの軍事力をもってすればトルコなどひとたまりもありません。しかしプーチンはトルコに制裁的な軍事行動は起こせませんでした。それはトルコがNATO加盟国であったからです。ロシアがトルコと戦争すれば、アメリカを含む他の加盟国すべてを敵にまわして戦わねばならなくなるからです。いくら強気のプーチンでもそれはできなかったのでしょう。

チベット、ウイグルを見よ

 私は、「憲法9条を守らなければならない」と言う人と、過去に何度も議論を重ねたことがあります。呆れるのは、彼らの主張はまったく論理的ではないことです。私はむしろ私を説得してほしいという気持ちが心のどこかにあるのです。「9条があるから、戦争が起こらない」ということを、論理を組み立てて、話してもらいたいと思っています。その上で、私自身が、「なるほど、言われてみれば、その通りだ。9条というのは素晴らしい」と思えたら、明日にでも護憲派に転向してもいいと考えています。

 しかし9条を信奉する人の中に、そうした論理的な説明をしてくれる人が、今日に至るも誰一人現れませんでした。

「もし、他国が日本に武力攻撃してきたら、どうやって国土と国民の命を守るのですか」

 こんな単純な質問にさえも、納得のいく答えが貰えないのです。呆れたことに、

「そうならないように努力する」

「話し合って解決する」

 という答えしか返ってこないのです。中には、

「もし、そんなことになれば、世界が黙っていない」

 と言う人もいました。そんな人には、私はこう言います。

「あなたはチベットやウイグルの人が国土を奪われ、人民が虐殺されても、黙って見ているではありませんか」

 すると、チベットやウイグルと日本は違うと言います。そこで私はこう言います。

「他国が武力侵攻しないということは、自衛隊はまったく必要がないということになるけど、あなたは自衛隊を失くしてしまえという主張ということで受け取っていいですか」

 すると、たいていの人が、黙ってしまいます。

 要するに、9条は残したいと考える人のほとんどが、自衛隊を失くしてしまうことは不安に思っているのです。ここに論理矛盾があるのに、皆、気付いていません。

 もっとも共産党だけは別です。彼らの目的はおそらく乱暴に言えば、日本を他国に売り渡すということですから。

黙って殺されるという人たち

 私は一度、テレビ朝日の「TVタックル」という番組に出て、朝日新聞の菅沼栄一郎氏と議論を交わしたことがあります。菅沼氏は元「AERA」の副編集長で、かつて久米宏氏の司会番組「ニュースステーション」でレギュラー・コメンテーターを務めていた人です。

 私は「TVタックル」で、国防の大切さを訴え、「国防軍と言うのは、家に譬えれば鍵のようなものだ」と発言した時、菅沼氏はこう言いました。

「鍵と言うなら、今のままで十分だ」

 私は、今の憲法で縛られている自衛隊では不十分という意味で、

「もっと丈夫な鍵にしようということです」

 と言いました。すると菅沼氏は、

「丈夫な鍵を付けると、相手はそれを壊すために、もっと強い武器を用意する(だから、鍵は弱い方がいい)」

 と言ったのです。私は呆れて、それ以上、議論をする気は起こりませんでした。

 菅沼氏の論理を突き詰めれば、鍵はない方がいいということになります。すなわち「一切の戦力を保持しない」9条に着地するわけです。おそらく菅沼氏も自宅のマンションにはしっかりと防犯用の鍵を付けていると思いますが、国家には鍵は不要と言うのが理解できません。

 なお、この時の出演メンバーには、漫画家(?)のやくみつる氏もいましたが、彼は番組中に驚くべきことを発言しました。

「もし、中国が理不尽なことを言ってきても、日本は徹底して謝る。謝って、謝って、謝り倒す」

 この時は、さすがに他の出演メンバーからも苦笑が漏れました。

 ちなみに、やく氏のこの時の発言は決して失言ではなく、後日、彼は別の番組で、「中国領になってもいいから、戦いたくない。中国領で生きていく」という発言をしました。彼は中国領となったチベットとウイグルでどんなことが行われているのか知らないのでしょうか。国土が原爆実験場として使われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、女性が犯され、人々や子供たちが遊び半分で殺されているという実態を、何も知らないのでしょうか。もし知っていて発言しているとなれば、究極のマゾヒストです。自らの性癖を、日本人全体に押し付けないでくださいと言いたいです。

 テレビに出ている文化人は、こういう空疎な(そして本人は美しいと思っている)言葉を平気で吐きます。経済評論家の森永卓郎氏はテレビで、

「とんでもない奴が攻めてきたら、黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです。世界の歴史の中で、昔は日本という国があって、戦争をしなくて制度を守るんだって言い続けて、ああそんな良い民族が居たんだなぁと思えばいいんじゃないですか」

 というような発言をしてきました。

 呆れるばかりの発言です。これは死にたくない人間に向かって、心中しようと言っているのと同じです。死ぬなら一人で死んでくれと言いたいです。あなたの死生観を他人に押し付けないでもらいたいです。

 おそらく本人たちは、本当はそんなことにはならないと思っているのでしょう。自分の娘が奴隷になって、弄ばれたり、売買されたり、あるいは虐殺されたり、といったことは起こらないと思っているから、そんなことを言っているのだと思います。もし、本気で奴隷になってもいいとか、殺されてもいいと思っているとしたら、まともな人間ではありません。

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 鳩山氏はこうも述べている。

「ウクライナを支援しますというのは、ウクライナの人がますます亡くなってしまうということ。いかにしてやめるかっていうことをしないと」(「AERA」2023.8.14・21)

 さて、現代の「非武装中立論」はどのくらい理解を得られるだろうか。

『戦争と平和』(新潮新書)から一部を引用、再構成。

デイリー新潮編集部

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