ピーコの逮捕に美川憲一は「人ごとではない」 おすぎの「死亡届」を勝手に提出していた凄絶同居生活【スクープその後】
身寄りのないおすぎとピーコが「老老介護」状態となったのは、仕方のないことだったのだろう。しかし、周囲の支援さえあれば、ピーコが酒を盗んで逮捕されるという事態は避けられたのではないか。認知症になった二人の「悲哀物語」、その一部始終をたどる。
(以下、「週刊新潮」2023年5月4・11日号をもとに加筆・修正しました。日付や年齢、肩書などは当時のまま)
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『ピーコ伝』(2001年刊)はピーコ(78)こと杉浦克昭氏の著書である。LGBTQなどの概念がまだ広く認知されていなかった1975年、おすぎこと杉浦孝昭氏(78)との双子のユニットとして芸能界デビュー。共にゲイであることを隠さず、ピーコはファッション評論家、おすぎは映画評論家としてもテレビ、ラジオなどで活躍した。糸井重里氏が聞き手を務め、ピーコの生い立ちなどが赤裸々に語られている『ピーコ伝』の終盤に次のような記述がある。
〈わたしは、ひとに余分な迷惑をかけたくないといつも思っているの。いずれ死んじゃうわけですから。残ったからだは片づけをお願いしなければならないけど、身ぎれいにだけはしていたい。(中略)なぜそう思うのかというと、人目を気にしているからではなくて、自分自身が身ぎれいに生きたい、と強く思っているからです。自分自身でちょっとどこかを律してキレイでいられることで、年寄りくさくならないとか……〉
自分で自分を律することへの強い思いが伝わってくるが、そんなピーコが現在の自身の境遇を冷静に眺められたとしたらどう感じるだろうか。テレビの中で繰り広げられていた、おすぎとの丁々発止のやり取りとマシンガンのごときトーク。それとは打って変わった二人の「現在地」を巡っては、全盛期を目撃した多くの人が悲哀や寂しさに似た感慨を抱くのではなかろうか。
20年に同居がスタート
二人の身辺に異変が生じていることは、ここ1年ほどの女性誌の見出しを並べるだけでも明白だ。
〈ピーコの幻迷「老老介護の果てに」〉(「女性セブン」22年5月26日号)
〈エアコンとテレビをつけたままピーコが「消えた!」〉(「週刊女性」23年4月25日号)
〈ピーコ 哀しき「万引き常習」 施設で保護の寄る辺なさ〉(「女性セブン」23年5月4日号)
おすぎとピーコの身に何が起こっているのか。ピーコの元マネージャーは、
「二人は今、別々の施設で暮らしています。二人には親族はいませんし、現在、身の回りの世話をする人もいません」
二人が施設に入る前に一時期同居していたマンションは、神奈川県横浜市西区にある。
「あのマンションの部屋は元々ピーコさんとおすぎさんお二人のお姉さんが所有していたのですが、彼女が10年ほど前に亡くなったことで、おすぎさんの持ち物になりました」(ピーコとおすぎの共通の知人)
その後、おすぎの知人らしき家族が暮らしていたそのマンションにピーコが越してきたのは、20年の春頃だった。
「それからしばらくピーコさんはそこで一人暮らしをしていました。そして21年秋頃、おすぎさんが当時暮らしていた福岡の博多からそのマンションに引っ越してきたのです。認知症が進んでいた様子だったので、ピーコさんが心配してそうしたのだと思います」(同)
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