大谷翔平、イチロー、村上宗隆…「夏の甲子園」で“後の大スター”に勝った選手列伝

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“甲子園でイチローに勝った男”

 愛工大名電時代のイチロー(元オリックス、マリナーズなど)は2年生だった1990年夏の甲子園に出場しているが、1回戦で同年の優勝校・天理に1対6で敗れている。

 そのイチローを4打数1安打に抑えたのが、193センチ右腕・南竜二(元日本ハム)である。同年の名電はチーム打率.366(イチローは県大会で29打数9安打6打点5盗塁の打率.310)の強打に加え、7試合で40盗塁と機動力のチームでもあった。

「先頭打者を出さず、走者には十分注意」と意識して1回裏のマウンドに上がった南は、2死から3番・イチローに中前安打を許し、4番にも連打を浴びたが、気合を入れ直し、次打者を内角直球で二ゴロに仕留める。これが試合の分岐点となり、天理は2回表に3点を先制する。

 この日の南は110球中、フォークとカーブが各10球程度だったのを除き、ほとんどが最速142キロの直球勝負。力負けした名電打線は散発6安打に抑えられ、盗塁もゼロに終わった。

「高校生にしては速い球を投げる投手」と南を評したイチローも3回の2打席目はフォークで空振り三振を喫し、3、4打席目はいずれも左飛。「何もできないうちに終わった」と初戦敗退にうなだれた。

 だが、南自身は「当時の名電は投手(伊藤栄祐、元近鉄)がいいと聞いていて、そっちばかり気にしていた」とイチローを覚えていなかった。プロ入り後、ウインターリーグでハワイに行ったときに、一緒に参加したイチローに「甲子園で一緒だったね」と言われ、初めて気づいた。

「家に帰って当時のビデオを見て、“あっ、こいつだ!”。打法は(プロ入り後と)ほとんど変わらず、ひょろっとしていたのが印象的でした」。かくして南は、翌春のセンバツでイチローを5打数無安打に抑えた松商学園・上田佳範(元日本ハム→中日)とともに、“甲子園でイチローに勝った男”として名を残すことになった。

4打数無安打に終わった“村神様”

 2015年夏、九州学院の1年生の4番・村上宗隆を無安打に抑えたのが、遊学館の180センチ右腕・小孫竜二(現・楽天)である。

 熊本県大会初戦の初打席でいきなり満塁本塁打を放った後の“村神様”は、6試合で22打数9安打の打率.409、チームトップの8打点という成績を引っ提げて、甲子園に乗り込んできた。

 一方、小孫は石川県大会5試合で34回1/3を投げ、40奪三振の3失点と安定。初戦で九州学院戦との対戦が決まると、山本雅弘監督は「小孫がしっかり投げて、最少失点に抑えてくれれば。村上選手が中心になって打つと、チームが勢いづくので注意していきたい」と徹底的にマークした。

 その指示どおり、小孫は2回に甲子園初打席の村上を三ゴロに打ち取るなど、立ち上がりから球を低めに集め、リードした中盤以降は、140キロ台の直球を主体に凡打の山を築く。

 村上は2打席目以降も、三ゴロ、中飛、二ゴロと4打数無安打に終わり、チームも3対5で敗れたが、「緊張感よりも楽しさのほうが大きかったし、自分らしいスイングはできた。(決勝点となった3回のタイムリーエラーは)少し慌ててしまった結果です」と大物感の漂うコメントを残している。

 あれから8年。今季ドラフト2位で楽天入りした小孫は、「高校時代の思い出は捨てて、真っ向勝負したい」と熱望した村上との再戦が2023年6月3日の交流戦、ヤクルト戦の3回に実現。中前安打を許し、甲子園のリベンジをはたされている。

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