妻は大病を患った後、「もうお母さん業を辞める」と宣言 戸惑う61歳夫にも微妙な心境の変化が【不倫の恋で苦しむ男たち】

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妻の自立宣言

 子どもたちが学校に上がると、由利さんはパートで働き始めた。無理するなよと拓憲さんはいつも声をかけていた。だがもともと几帳面な由利さんは、無理を重ねたのだろう。それが原因かどうかわからないが、42歳のとき婦人科系の大病を患った。

「妻が生きるか死ぬかという状態になって、それでも僕は仕事を辞めるわけにもいかない、出張しないわけにもいかない。あの頃はつらかった。妻もつらかったと思う。子どもたちの存在が僕らを勇気づけてくれた。そして妻には強い生命力があったんでしょう」

 5年後、もう大丈夫、完治したと診断されたとき、由利さんは初めて泣いた。頑張り屋の由利さんを、彼は「改めて尊敬した」と言う。当時、長男は18歳、長女は16歳になっていた。そのとき由利さんは、家族に向かって「もうお母さん業を辞める」と言い放った。

「妻の自立宣言だったんでしょうね。ひとりの人間として自分の時間もほしい、好きなこともしたい。今まで通り、食事を作ったりはするけど、自分でできることは自分でしてちょうだいということでした。妻は少し過保護なところがあって、子どもたちの部屋の掃除までしていた。長男は大学生になったばかりで、遅く帰ることもありましたが、食事の温め直しなどは自分でやれ、と。その際、ちゃんと食器まで洗ってねと妻は言ってました。そのルールは僕にも適用されましたよ、もちろん」

 家事手抜き宣言もなされたが、拓憲さんはすべて受け入れた。妻はパートの時間を増やし、大学院入学を目指した。「もらった命だから、大事に育てる」と妻は言ったという。死の淵を見た人間は強い。だが、そうやって変わっていく妻に、拓憲さんはほんの少し違和感を覚えていた。

「僕が由利だったら、たぶん同じように考えたと思う。せっかく生きられるなら、やり残したことをやりたいと。わかるんです。だけど一緒に生活している立場から言うと、妻が遠くなったというか……。人として尊敬はするけど、それと“妻への愛情”とは若干、何かが違うというか。うまく言えないんですが」

 たとえて言えば、手の中にあった大事な小鳥が勝手に羽ばたいていくイメージだろうか。そう問うと、「それじゃまるで僕が妻を所有物だと思っていたようになる。そういうことじゃないんです」と言ったあと、「ああ、でもそういう気持ちが本音としてあるのかもしれない」と彼は認めた。所有しているとか支配しているとか、そういった感覚はない。だが、身近だった妻が、「ひとりで自由に」羽ばたいていくことへの嫉妬はあったのかなと彼はつぶやいた。

「夫だから妻を支配しているということじゃないですよ。単純に寂しかったのかもしれない。足並みを揃えなくなった妻を後ろから見ている感じがあった」

「本当にこの人は偉いなあ」

 変わっていく妻、変われない自分。サラリーマンはそう簡単には変われない。妻は無事に大学院生となり、その後も大学院に通いながら関係する仕事へと転職していった。そこまでに6年ほどかかっている。

「妻の努力を間近で見ていて、本当にこの人は偉いなあと思っていました。自由に生きてもらったほうがいいと、僕も少しずつ妻への理解を深めていったような気がします」

 妻に触発もされたのだろう。だからこそ彼は早期退職から起業へと自分を鼓舞していった。若い頃思い描いていたように老後、一緒にのんびりするような夫婦にはなれそうになかったが、それはそれで刺激的な関係でいられると彼は納得した。

後編:そろそろ「妻か不倫相手か」を選ばなければ…61歳夫が語った“なかなか決断できない本当の理由” 【不倫の恋で苦しむ男たち】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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