「普通に結婚できそう」「結婚できないよね」はドイツ語に訳せない? 「結婚」にこだわりすぎる日本人

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聞き逃してストレスをためない

 でもそういった雰囲気に染まるも染まらないも自分次第。無言のプレッシャーのようなものにとらわれ過ぎると、知らないあいだに自分の中でストレスがたまってしまいます。

 ここは、自分に対してはっきりと「私は自分流で行きます!」と宣言しましょう。声に出して言うのもよし、日記に自分用の記録として残すのもよし。

「あの人は結婚できないよね」「あの人は普通に結婚できそうだよね」という会話が聞こえてきたら、聞き逃してしまうのが一番。

 ドイツの言い回しに“Etwas geht zum einen Ohr rein, und zum anderen Ohr wieder raus.”(和訳「片方の耳から入ったものは、もう片方の耳から出ていく」)という言い回しがあります。要は片方の耳から入ってきた雑音は、自分の中でためずに、もう片方の耳から出してしまえばいいのです。いい意味で「聞き逃しができる」女性になりたいものです。

 独身の人は結婚している人を前にしたとき、何か自分が劣っていると思う必要は全くないですし、既婚者も独身の人に会ったとき「私のほうが上」とやってしまわないように気を付けたいものです。女子同士の「マウンティング」には「結婚」が使われることが多いことを自覚しておきましょう。

結婚より、自分に合った生き方を

 ちなみに、「A子は普通に結婚できそう」という文章も、「B子って、結婚できないよね」という文章も、そのニュアンスが正確に伝わる形でドイツ語に訳すのは難しいのです。それは「結婚することは何よりも価値のあること」と考えるドイツ人があまりいないからです。

 結婚たるものは、するのもあり、しないのもあり。イチイチ能力と結び付ける考え方をしないほうが人生は楽しめます。これは女性だけではなく男性もしかりです。

 メディアが取り上げる「結婚できない男性」はコミュニケーション能力がなかったり、収入が不安定だったりなどといったテーマと結び付けられがちなため、結婚できない男性イコール能力が伴わない人(逆に結婚できる男性はこれらのことをクリアしている男性)ととらえられることが少なくありません。でもこれも残念な現象です。結婚をしている人がそんなに素晴らしくて人格者なのなら、世の中に既婚の犯罪者などいないはずです。

 それにしても、繰り返しになりますが、日本ではヨーロッパ(主に北ヨーロッパ)と比べると「結婚」にこだわるなあ……と思います。先の男性の例を挙げれば、収入が不安定ならば、それを何とかしたいというのは自然ですし、コミュニケーション能力がないことに悩んでいるのなら、それを何とかしたい、というのも自然な流れなのかもしれません。ただし、それらのことを「結婚できるために、直したい」(または親側が、直させたい)というのはなんだかなあ……と思うのでした。

 自分に合った生き方……それを考えた上での選択なのであれば、結婚があっても、なくてもどちらでもよいのではないでしょうか。

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