宝塚を40年間愛し続けた男が買い集める「お宝」とは? 約100年前に発行された冊子も

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珍しい「別府」という冊子の内容とは

 珍しいものでは、別府宣伝協会という団体が発行したそのものズバリ「別府」という冊子がある。何で宝塚が別府かというと、大正13年(1924)11月8日・9日、別府に宝塚を招聘(しょうへい)するに際して、「宝塚少女歌劇来別記念号」として創刊したものらしい。松濤館という劇場に来演したのは、天津乙女、夢路すみ子、住江岸子、初瀬音羽子、小夜福子ほか月組の面々だった。

 別府市長や名士らのあいさつ文から始まる冊子の冒頭に並ぶ温泉宿や鉱泉サイダーの広告ページも興味深いが、現物が届いて驚いたのは、5本立ての演目の全ての脚本が掲載されていたことである。詳細は割愛するけれども、このうち「能因法師」は岡本綺堂の原作を歌劇化したもの、「お夏笠物狂」は西鶴や近松の作品で有名な「お夏清十郎」の宝塚版、「山の悲劇」も何度かリバイバルされている名作で、5作品もの脚本を一網打尽に入手できたのは甚だラッキー、すこぶる重畳であった。

 もう1点、昭和2年(1927)6月18日名古屋の旧・八重小学校講堂で開催された、名古屋宝塚会主催の「沖津浪子独唱会」のプログラムである。沖津はすでに退団しており、後年「レビューの王様」と呼ばれた白井鐵造の夫人となっていたが、「歌劇」の記事によれば、会場には900人の聴衆が詰めかけたそうだ。日本の唱歌や懐かしい宝塚の唄のほか、音楽歌劇学校の教師で伴奏者の金光子によるピアノ独奏もあった。こういう物をひそかに持っているのも心うれしい。

 ところでずっと気になっているのが、昭和2年に日本初の本格的レビュー「モン・パリ」を発表した岸田辰弥が、大正15年(1926)欧米遊学中にパリ・オペラ座の幹部やプリマダンサーとの会食の席で撮影したと思われる記念写真である。同じものは「歌劇」の誌面でも見たことがあるが、こちらは岸田の直筆のサイン入り。ン万円もするので何カ月も手を出せずにいるのだが、でもこの原稿が活字になる頃には、ひょっとしたら、うちにあるんじゃないかな。

小竹 哲(こたけ・さとし)
1964年三重県生まれ。2019年まで大阪・朝日放送に勤務。近著に創立当時の宝塚歌劇団の様子を活写したノンフィクション『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』がある。

デイリー新潮編集部

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