「激ヤセでほとんど白髪」 高山清司若頭と面会した出所直後の淡海一家の総長

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8月4日に大阪刑務所から

 8月4日、大阪刑務所から淡海一家の高山誠賢(義友希)総長が出所した。その足で名古屋へ向かい、6代目山口組の高山清司若頭らと面会したという。この面会は、単に出所した人物が挨拶に出向いたという以上の意味を持つため、関係者の注目を集めている。なぜか。そこで何が話し合われたのか。

 高山誠賢総長は、4代目会津小鉄会の高山登久太郎会長の子息。その経歴を簡単にまとめると以下の通りである。

 誠賢総長は大学卒業後、滋賀の信用組合に入った。建設業などを営んでいたが、不動産開発で大きな負債を背負ったとされる。
 父、登久太郎会長は1997年に引退して2003年に死去。
 一方で誠賢総長は自ら淡海一家を旗揚げ、弘道会入りしてヤクザとなった。

 誠賢総長が服役することになったのは、みかじめ料をめぐって京都の土木建築業者の男性を恐喝した2010年の事件によるものだ。同じ事件では高山清司若頭も誠賢総長と共謀したとして恐喝罪で逮捕・起訴され、懲役6年の判決を受けた。

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 ちなみに、この「京都の土木建築業者の男性」とは長年、部落解放運動に関わってきた上田藤兵衛氏のことを指す。今年、上田氏を描いた『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(伊藤博敏著)が出版されている。

 この「W高山」が逮捕された2010年は、6代目山口組の司忍組長が服役中だった。

「“高山(若頭)をとれ、高山の身柄をとりたい”というのが、当時の警察幹部の考え方でした。高山若頭の身柄をおさえることができれば、6代目山口組の2トップが社会不在となり、その勢いをそぎ、瓦解につなげることができるというわけですね」

 と、担当記者。

 6代目山口組の枢軸組織である弘道会の徹底取り締まりは全国の警察による頂上作戦の一環であり、若頭逮捕につながるどんな小さな情報でも全国の警察は求めていた。

「その流れの中で浮上してきたのがこの恐喝事案だったというわけです」(同)

 一足先に上告を取り下げて収監された高山若頭とは異なり、誠賢総長は最高裁まで争ったが、2015年6月に懲役8年の実刑判決が確定した。

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