吉田正尚、大竹耕太郎、万波中正…今季躍動する選手たち、「夏の甲子園」ではどんな成績だったのか

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憧れの甲子園がホームグラウンドに

 現役ドラフトでソフトバンクから阪神移籍後、一躍「エース格」になった大竹耕太郎も、済々黌2年時の2012年夏の甲子園に出場している。

 初戦(2回戦)の鳴門戦、先発の大竹は、球速こそ最速134キロながら、切れ味鋭い直球と100キロ台のシュートで緩急をつけ、3回まで無失点。3回裏に味方打線が1点を先制すると、ギアを上げた。

 そして、2対1とリードの7回、済々黌は1死一、三塁の加点機に西昭太朗のショートライナーで一塁走者が飛び出し、併殺でスリーアウトになったが、三塁走者・中村謙太が帰塁することなく本塁に激走。一塁走者がアウトになる前に生還し、鳴門側からアピールがなかったことから、「野球規則7.10」により、得点が認められた。

 水島新司氏の人気漫画「ドカベン」で紹介されたプレーだが、この話を読んで“ドカベンプレー”を知っていた中村の好走塁が貴重な3点目をもたらした。

 2点リードで余裕ができた大竹は、鳴門打線を散発4安打に抑え、1失点完投勝利。「ストライクが決まるたびに大歓声が上がり、勇気を貰った」とスタンドの応援団にも感謝した。

 3回戦では同年春夏連覇を達成した大阪桐蔭と対戦し、エース・藤浪晋太郎(現・オリオールズ)に代わって先発した沢田圭佑(現・ロッテ)や森友哉(現・オリックス)らに計3本塁打を被弾するなど、「際どいコースも鋭く打ち返された」と力でねじ伏せられ、2対6で敗退。「自分の力不足。必死に練習して、またここに戻ってきたい」と出直しを誓った。

 あれから11年。憧れの甲子園がホームグラウンドとなり、高校時代を上回る大歓声を背負って投げているのは、不思議なめぐり合わせと言えるかもしれない。

金足農の「吉田輝星」と対戦

 オールスターで2戦連続弾を放った日本ハム・万波中正も、横浜高時代の2016年から3年連続夏の甲子園に出場しているが、けっして順風満帆な3年間ではなかった。

 背番号13で初めて甲子園の土を踏んだ1年夏は出番なし。5番ライトで出場した2年夏は、1回戦の秀岳館戦で、1対4の7回から4番手として甲子園初登板もはたすも、2死から連打を浴び、ダメ押し点を献上。打っても2打数1安打と不完全燃焼に終わり、初戦敗退に泣いた。

 さらに3年時は不調からスタメンを外れ、夏の南神奈川大会も1次登録のベンチ入り20人から外れた。

 そんな逆境にあって、万波は「初心に帰ろう」と朝練習で誰よりも早くグラウンド入りし、チームメイトのアドバイスを参考にしながら、重心を低く構え、コンパクトに振る新打法をマスター。大会直前に背番号13でベンチ入りをかち取った。

 当初は6番を打ったが、4回戦の藤沢清流戦から4番に昇格。準々決勝の立花学園戦と決勝の鎌倉学園戦で特大の本塁打を放つなど、24打数13安打12打点、打率.542で3年連続出場に大きく貢献した。

 だが、甲子園では、1、2回戦の2試合で9打数無安打3三振と再び打撃不振に陥る。3回戦の金足農戦でようやく2安打を記録したものの、2点リードの8回に3ランで逆転され、9回の最後の打席では、吉田輝星(現・日本ハム)に空振り三振に打ち取られた。

 試合後、万波は「自分がもっと打てば勝てたかもしれない」と涙を流しながらも、「でも、ここまで連れてきてくれたみんなに感謝したい」とチームメイトに最高のエールを贈っている。

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