なぜ都会の人は「疎開先でイジメられた」のか 教科書に載らない“戦争中の田舎”のリアル

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戦時中でも様々な暮らしがあった

 なお、ここで断っておきたいが、筆者は「戦時中が大変だったというのは嘘」と言いたいのではない。戦時中に凄惨な思いをした人は多いし、二度と戦争を起こさないためにもそういった人々の体験談は後世に伝える必要がある。しかし、一方で深刻な大変な思いをしなかった人がいたのも事実であり、それも紛れもない戦時下の暮らしの一端といえるのだ。

 戦時中の暮らしのイメージで語られるのは前者であり、後者の証言は驚くほど少ない。しかし、その時代の様子を克明に記録するためには、様々な証言を集めることが欠かせない。右だとか、左だとか、そういった思想を抜きに考える必要があろう。また、秋田県内の農村であっても、本稿で取り上げた老人のように食料に困らなかった地域もあれば、飢えに苦しんだ地域もあるはずであり、一概に言えるものではないことも書き添えておく。

 筆者は取材で戦争体験を聞くことは多いが、そのたびに心が苦しくなる。日本人には助け合いの精神があるなどと言われるが、本当にそうだろうかと思う。生きるためにはいざとなれば平気で他人の財産を収奪するし、他者への施しもしなければ、そもそも博愛の精神を持つ余裕はなくなることが前出の老人の証言からも浮き彫りになる。少なくとも、困窮した都会の人間と、食料があった田舎の人間の間に対立感情を生むほど、あの戦争が人々の心を荒廃させたことは疑いのない事実であろう。

山内貴範(やまうち・たかのり)
1985年、秋田県出身。「サライ」「ムー」など幅広い媒体で、建築、歴史、地方創生、科学技術などの取材・編集を行う。大学在学中に手掛けた秋田県羽後町のJAうご「美少女イラストあきたこまち」などの町おこし企画が大ヒットし、NHK「クローズアップ現代」ほか様々な番組で紹介された。商品開発やイベントの企画も多数手がけている。

デイリー新潮編集部

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