なぜ都会の人は「疎開先でイジメられた」のか 教科書に載らない“戦争中の田舎”のリアル
戦争体験が少ない農村の事情
戦時中の暮らしのイメージを形成した本といえば、昭和44年(1969)に花森安治が編集して出版された『戦時中の暮しの記録』であろう。この本には、読者から寄せられた戦時下の体験談が収録されているが、都市部(地方でも県庁所在地か空襲があった工業都市など)の証言が非常に多い。こうした本に「普通の暮らしを送っていた」人がわざわざ投稿するとは考えにくい。したがって、普通の暮らしほど記録に残らないといえる。
老人が住む農村でも、昭和20年(1945)になると、米軍の爆撃機が上空に現れるようになった。老人の家は当時田んぼの中の一軒家だったが、庭の樹が目立つので覆い隠すなどの対策をしたという。機銃掃射などの小規模な攻撃は近くの町でもあり、8月10日には横手駅の貨物取扱所や、後三年駅を出発した列車が襲われている。
しかし、町全体が焼失する規模の空襲はというと、8月14日から15日にかけて行われた土崎空襲を除けば、ほとんど受けていない。秋田県は、戦火に見舞われ焦土と化した地域が他県と比べれば圧倒的に少ないのだ。出征した家族や親戚を亡くしたという戦争体験をもつ県民は少なくないだろうが、焼夷弾が降り注ぐ中を逃げ回り、肉親や子どもを失う凄惨な経験をした人は少数派なのである。都市部や沖縄のような戦争体験をもたなかったことが、戦後から現在まで、秋田県で保守層の政治家が強い要因になっているのかもしれない。
農村に出没した農作物泥棒
宮﨑駿氏の新作アニメ「君たちはどう生きるか」の冒頭で、戦火で家を失った主人公が田舎に疎開する場面がある。そして、田舎の子どもからいじめに遭う。漫画『はだしのゲン』でも、主人公の兄が疎開先の田舎でいじめられ、自宅に逃げ帰る場面があった。このように、戦時中を描いたアニメや漫画では、疎開者を受け入れる田舎民は大抵悪者に描かれている。
フィクションにせよ、ノンフィクションにせよ、疎開の思い出もまた都会目線で語られることが多い。では、田舎の人たちはそこまで酷く疎開者を虐げたのだろうか。もしそういった陰湿ないじめがあったとしたら、何か理由はあるはずである。前出の老人の話から一つの原因が浮かび上がってくる。「戦時中に一番困ったことは何か?」と聞いたとき、「都会の連中がコメや野菜を盗みに来た」ことだと話していたのだ。
家の近くを鉄道が通っていたこともあって、昭和19年(1944)頃には農作物泥棒が目立って増えたのだという。それはサイパン島が陥落し、日に日に敗戦色が濃くなっていった時期のことだろう。近隣の家でも同様に被害があり、地域総出で犯人を捕まえたらしい。また、骨董品を持ってきて物々交換を要求する人までいて、「図々しかった」という。こうした経験が、田舎の人間が疎開者を嫌った理由の一つではないだろうか。
筆者は東北地方を取材した際、かつての豪農の屋敷に立ち入ったことがある。床の間に見事な有田焼の大皿が置かれていたので、入手経緯を聞いたところ、戦後間もない頃に東京の人が持ってきてコメと交換したらしい。農村の蔵に眠っている骨董品はその家の主人が集めたケースもあるが、戦後に持ち込まれた品も少なくないのかもしれない。
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