夏の風物詩「テキヤ」業界のいま たこ焼きは700円時代、空洞化が進む原因、キッチンカービジネスに参入するケースも 暴対法とは無縁の“スローライフ”

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暴力団からの“転職”

 昨今の改正暴対法等の事情から、暴力団を離脱する人も多い。例えば、人生の折り返し地点と言われる50代を迎えて、自分の人生を改めて考えなおした時、現在の暴力団の生活に嫌気がさしてカタギになる人が増えているのだ。

 しかし、せっかく暴力団を辞めたにもかかわらず、通称「5年ルール」(暴力団を離脱しても5年間は暴力団員と同じ扱いをする)の縛りもある。本人に社会復帰を果たしたいという気持ちがあっても、なかなか思うに任せないケースも多い。そんな彼らの受け皿になっているのがテキヤ団体なのだ。

 テキヤは、過去、関東大震災で生活困窮者を世話した歴史があるように互助精神が強く、テキヤを始めるにあたっては履歴書も関係ないので元暴力団員を受け入れることに抵抗がない。また、外国人商売人たちとは違って元暴力団員たちは町の習慣や祭の作法に詳しく、それをちゃんと遵守するのでテキヤのほうも受け入れ易いようである。

 暴力団という“ブラック企業”から、テキヤという「日銭商売で調理や接客の作業も辛い“ブラック仕事”」へ移籍するわけだから、果たして本当にいいことなのか分からなくなる。だが、元暴力団員からすれば、暴力団時代のシノギごとよりも、テキヤのほうがよっぽど正業傾向が強いので充分納得できるそうである。

テキヤのススメ

 言うなれば、テキヤ稼業という青空商売で、50代からのスローライフを満喫するのである。そう思うと、なかなか魅力的にも見えてくる。

 昭和の時代には、ラーメン屋やおでん屋などの屋台文化が盛況だった。東京・銀座の街路も、毎晩のように100台以上の屋台で埋め尽くされた。生粋の屋台人もいたが、そのほとんどは脱サラ組や元暴力団員、素性不詳の人たちだった。

 それでも彼らは“仲間”としてスローライフを送りながら、日本の夜の街を盛り上げていた。しかし、消防法、食品衛生法、道路交通法、営業者一代限りの方針……などの規制が張り巡らされ、街路での日常的な屋台営業が難しくなって、昭和の屋台文化は消滅した。それを寂しく思う人も多い。

 現在、アメリカのニューヨークでも屋台文化は根強い人気を誇っており、ストリート文化の代表として存在感を誇示し続けている。アジアの各都市でも常設的な路上屋台は庶民や観光客たちから普遍的な人気を得ている。しかし、日本政府は、街頭から屋台を締め出す政策を取った。そのせいで、現在、屋台を見かけることができるのは、お祭りやイベント時のテキヤぐらいとなってしまった。今ではある意味、隙間産業と呼べるかもしれない。

「的屋」という表記には「何事も的に当たれば大成功する」という意味がある。三寸と呼ばれるさほど大きくもない売り台で、天候に左右されながらも「当たればホームラン!」の可能性を大きく秘めているのがテキヤビジネスである。

 確かにキツい労働環境だが、気持ちの持ち方次第で自分のペースでやれる商売でもある。そんなわけで、一般企業にお勤め中の方々も、会社の先行きに不安を感じたりスローライフに興味を持ったら、テキヤ稼業に飛び込んでみるのも一計かもしれない。テキヤ業界の人手不足の柱となって、ゆくゆくは昭和の屋台文化の復活を目指すのも楽しい人生だろう。

藤原良(ふじわら・りょう)
作家・ノンフィクションライター。週刊誌や月刊誌等で、マンガ原作やアウトロー記事を多数執筆。万物斉同の精神で取材や執筆にあたり、主にアウトロー分野のライターとして定評がある。著書に『菱の血判 山口組に隠された最大禁忌』(サイゾー)、『山口組対山口組』、『M資金 欲望の地下資産』(以上、太田出版)など。

デイリー新潮編集部

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