平和のために走るランナー・キプチョゲの名言の数々とは?(小林信也)
2千本の植樹
今年4月のボストンマラソンでは、優勝したチェベト(ケニア)から3分29秒遅れの6位に終わった。これが降りしきる雨のせいだったのか、年齢的な衰えのためかは次のレースで彼自身が答えを出すだろう。
キプチョゲは、今後の目標として「世界六大マラソン(ワールドマラソンメジャーズ)全制覇」を挙げている。東京、シカゴで1度、ロンドン、ベルリンでは各4度の優勝を飾っている。残るはボストンとニューヨークだ。ボストンのレース後、Runner's World誌のインタビューに答え、すでに展開している慈善活動や今後の人生展望について語っている。
「私の地元に建設された図書館を最も誇りに思っています。とても大きな図書館なので、全国に同じような図書館を造りたいと思っています。もう一つは、ここのトレーニング場に広大な森林を採用したことです。5月には2千本の木を植える予定です。私は自然保護と教育を大事に思っており、いつかそれが国全体、さらには東アフリカ全体に広がることになると思います」
静かな語り口だが、キプチョゲの言葉の奥に、「平和革命の闘士」の横顔が見える。キプチョゲは走ることで獲得した富と名声をアフリカの若者たちの希望と世界平和に還元する挑戦を続けているようだ。
平和のために走る
80年代前半、瀬古利彦や宗兄弟らと激闘を演じたのはイカンガー(タンザニア)らアフリカ勢だった。「彼らを陸上競技に誘い込んだビジネスマンがいる」と聞かされ、私はエージェントの存在を知った。有名な日本人もいた。アフリカで有望なランナーを見つけ、日本の大会や学校に紹介する。当初は先駆的なその仕事に敬意を抱いたが、次第に裏事情を知らされた。中には、知識の浅いアフリカ人選手を所有物のように扱い、自分の利益を優先させるブローカーもいたという。一時的に栄華を誇っても、幸福な生涯を全うできず夭逝するランナーの悲劇もしばしば伝えられた。キプチョゲは、そうした一見華やかで実は哀しいアフリカ人ランナーの歴史の彼方に登場した救世主だ。
東京マラソンの後、テレビ中継に出ていた大迫傑が質問した。
「どうしたらコンスタントに長く活躍できるか」
キプチョゲは答えた。
「長く走り続けるにはプロフェッショナルであること、このスポーツを愛すること、自分がどこから来たのか、どこに行くのかを自覚して、自分を律して毎日走り、インスピレーションを与えること」そして、「平和のためにも走りたいと思う」と付け加えた。キプチョゲが走る理由は「支配からの独立」であり、富を得てなおわが道を歩む姿を同胞に示す先駆者の矜持ゆえではないか。残された彼のレースを心して見たいと思う。