タフィ・ローズ、NPB史上最多14回も退場処分を受けた球史に残る“暴れん坊”

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「誰よりも尊敬している」

 このように性懲りもなく何度も退場を繰り返したのは、「チームの勝利に貢献したい」の思いが強過ぎ、頭に血が上ると我を忘れてしまうからだった。「これからは日本語で抗議する。それもなるべくソフトに“頼むで”とかね」と言いながらも、カッとなると「ファック!」を口にする癖は直らなかった。

 直接の当事者でもないのに暴力行為で退場になったのが、2003年5月21日の西武戦である。5回2死満塁、4番・中村紀洋が青木勇人から死球を受けると、一塁走者のローズは、いきなり背後から青木に体当たり。不意をつかれた青木は数メートルも吹き飛び、頚椎捻挫、後頭部打撲などのケガを負った。

 ローズは「日本の野球は当てたら謝るのが礼儀。それがなかった」と説明したが、西武側は「帽子を取る、取らないは別として、第三者が入ってくる理由は何もない」(小野賢二球団代表)と一時は刑事告訴も検討した。ローズは罰金30万円の球団処分に加え、パ・リーグから2試合の出場停止処分を受けた。

 近鉄退団後、ローズは中村について「常にヒーローでみんなに好かれていたから、誰よりも尊敬している」(週刊現代2004年1月24日号)と語っている。もちろん、暴力はいけないが、尊敬するチームメイトへの特別な思いからの行動だったように思える。

「あのときの顔が侮辱行為」

 オリックス時代の2007年7月17日のロッテ戦でも、ローズは3人が退場する乱闘事件の火付け役となる。3回1死、ローズが清水直行の内角高めに「危ない」と色をなすと、捕手の里崎智也は「全然危なくない」と答えた。すると、ローズは“問答無用”で里崎を押し倒すと、馬乗りになって殴りかかった。

 たちまち両軍ナインが本塁付近で乱闘になり、ローズとオリックスのジョン・ディーバス打撃コーチ、ロッテの高橋慶彦走塁コーチの3人が暴力行為で退場になった。

 すでに巨人時代の2005年に金田正一(国鉄→巨人→ロッテ)の8回を更新するNPB最多退場を記録していたローズは、これで通算11回目となった。

 その後も2008年4月9日のソフトバンク戦で「ファッキン・ストライク」と言って12回目。さらに同年5月17日のロッテ戦では、空振り三振のあと、秋村謙宏球審のほうを振り向いて英語で何事か言うと、「あのときの顔が侮辱行為と感じた」と、前代未聞の“お前の顔が理由”退場を記録した。

 そして、2009年8月27日の日本ハム戦で、白井一行球審を「ヘタクソ!」と罵り、14回目に……。翌2010年に楽天・マーティ・ブラウン監督が通算12回まで迫ったが、同年限りで退団。今後もローズの退場14回は破られることはないだろう。

 ダントツの退場回数や暴力行為などから暴れん坊のイメージが強いが、内面はナイーブで、研究熱心でもあったという。

 オリックス退団後の2015年には46歳でBCリーグ・富山の選手兼コーチとして現役復帰。「富山の空へアーチを描け」の歌詞の応援歌とともに観客動員に貢献し、41試合で打率.315、5本塁打の成績を残した。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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